偽りのヒーロー
力こぶを作った母の腕はひょろひょろとしていたけれど、本当に、母は正社員になって、二人の子供の学費を賄ってくれた。
幸いにも公立に滑り込めたからよかったものの、未だ奨学金は返済中だが、後悔はしていない。こうして教壇に立つことを許されたのだから。
離婚後、しばらく接近禁止令が出た父は、今何をしているかはわからないが、橘川から加藤になると、途端に気が楽になった。
見事地域をまとめ上げる統括マネージャーという役職についた母。
男性恐怖症になって、進学先を全て女子校にした妹も、今年初めて彼氏ができたと笑顔で話していた。
3人で暮らす築35年のマンションは、エレベーターのない5階建だが、存外居心地がいい。いつしかここから妹も旅立つのだろうか。
「女ってすごいっすよね。苦労したくせに、なんてことない顔して前向いて……。俺にはできないです」
「まあ、そうだよなあ。俺もそれは同感だ」
「……娘さんは、先生に似てますね」
「ん、そうか? 顔なんて朝霞とそっくりだろ」
「そうですけど。中身がですよ。あの傷、驚きませんでした?」
「ああ、すごいよなあ。でももう抜糸も終えたからな。そろそろ包帯とれるけどな」
「娘さん、病院行くとき、笑ってましたよ。
『小石のひとつもないくらい綺麗に掃除しないとだめですね』って。
立派ですよ。丸く収める術を知ってるし、時にはぶつかることもできるし。人の気持ちを考えられる」
「やめてくれよ。俺が褒められてるみたいだろ」
頭をぽりぽりと掻いて、照れ隠しの笑顔を浮かべていた。「褒めてるんですよ」と返せば、「お前も言うようになったなあ」と感慨深そうに口を開いていた。
「いや、それよりもだ、大和」
途端に重々しい雰囲気で、机に肘をつき組んだ指の上に顎をのせた菜子の父が、口を開くのを待った。