偽りのヒーロー




 人前で泣くのは、なかなかできることではなくなった。父も弟も、悲しみに打ちひしがれていた。     
 


 幼く、オムツがとれて間もないような弟にとって、どれだけ悲しいことだっただろうか。夜泣きがおさまったはずの歳に、再び枕を濡らす日が来るなんて、誰が想像しただろう。

一生を誓った父にとって、最愛の人を先に見送るのは、どんな気分でいただろうか。

今思えば、受診していた母本人よりも、気落ちしているように見えた父は、なんらかの感情を抱えていたのだとは思うのだけれど。



 親というのは大変だ、大人であるということだけで、やることがたくさんある。母が他界した後の日常は、多くのことを痛感させられた。


 焼け焦げたフレンチトースト。水気を吸ってべちょべちょになったご飯。生焼けのハンバーグに、茹でただけのシンプルな野菜。父が手によりをかけて作ってくれたご飯は、美味しいというには程遠い料理。

次第にそれは、菜子が担当するようになった。母から教えてもらった料理は、いつしか全く同じ味を再現できるようになっていて、それを食べると父は笑ってくれた。

不器用に畳まれた洗濯物も、小さな弟とやっていたら、菜子が一人でやる倍の時間がかかったものの、楽し気に笑っていた。




 しっかりしたら、家族もきっと笑ってくれる。菜子がそう決めたのは、その頃のことだった。


 マンションの非常階段でこっそり泣いていたのは、一年程前のことだ。菜子が泣くと、楓も泣く。それを見れば、父も眉毛をハの字にする。

それを知って、一人でこっそり涙を流せる場所を求めて辿りついた場所。一度、父にひどく怒られた後は、未蔓もよく来てくれて、ただただ隣に座っていた。



 しばらくして、母のことを話せるようになってからは、気持ちの整理をしなければと決めた。それからは、人前で泣くことは止めた。泣きたいときは、笑うようにした。怒りたいときは、気持ちを静めて笑みを浮かべられるようにした。


そうしたら、きっといつか本物になると信じていた。信じたいと願っていたのは、きっとまだどこかで大きな穴が開いているからだろう。


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