偽りのヒーロー


 なんて不器用で優しい人なのだろうか。優しいことに意味や理屈を求めるその性格は、いつしか平手打ちを食らっていた人とは思えない。

掴んだ腕をそろり放すと、カバンに常備してあるチョコレートを、結城の手のひらの中にぽとりと一粒落とした。



「おかしくないよ、ありがとう。もしかしてクラスメイトから友達に昇格したんじゃない? 私!」



 にかっと白い歯をこぼす菜子に、結城は苦笑した。友達、という言葉は案外重いもので、手放しでは喜べない。

励ましのつもりで結城の手のひらに落としたチョコレートも、包みの上から触れただけで柔らかい。きっと開けたら、どろどろになっているに違いない。



「菜子」



 初めてできた女友達をそう呼んだ。彼女でもない、ただの知り合いでもない、同じクラスの友人の名前。

突として下の名前で呼ばれたことに、目を丸くしていたが、もう一度「菜子」と呼ぶと、その唇が「紫璃!」と笑って口を開く。

珍しいと自覚しているその名前が頭の中に木霊して、寒くもないのに結城の腕には鳥肌が立っていた。


 いつものようにばいばいと手を振る菜子が、慌てて結城に駆け寄ってきたのが見えて、思わず目を見開いた。



「ね、すごいこと気づいた! 紫璃って言うと、こう、ニッてなる!」



 人差し指で、わざとらしく口角をあげる菜子。

それだけを早々と伝えると、颯爽とマンションへ駆けていく。風に吹かれて、髪の毛がそよそよ泳いでいるのを、結城はじっと見ていた。



 どうでもいいことをわざわざ伝えにきたのかと、笑い飛ばそうとしていた。自分の思考通りにはいかなくて、真っ赤になった顔を下に向いて隠していた。

ようやく離れたその距離で、菜子の背中を遠くから見つめていたのだった。


< 65 / 425 >

この作品をシェア

pagetop