偽りのヒーロー
なんて不器用で優しい人なのだろうか。優しいことに意味や理屈を求めるその性格は、いつしか平手打ちを食らっていた人とは思えない。
掴んだ腕をそろり放すと、カバンに常備してあるチョコレートを、結城の手のひらの中にぽとりと一粒落とした。
「おかしくないよ、ありがとう。もしかしてクラスメイトから友達に昇格したんじゃない? 私!」
にかっと白い歯をこぼす菜子に、結城は苦笑した。友達、という言葉は案外重いもので、手放しでは喜べない。
励ましのつもりで結城の手のひらに落としたチョコレートも、包みの上から触れただけで柔らかい。きっと開けたら、どろどろになっているに違いない。
「菜子」
初めてできた女友達をそう呼んだ。彼女でもない、ただの知り合いでもない、同じクラスの友人の名前。
突として下の名前で呼ばれたことに、目を丸くしていたが、もう一度「菜子」と呼ぶと、その唇が「紫璃!」と笑って口を開く。
珍しいと自覚しているその名前が頭の中に木霊して、寒くもないのに結城の腕には鳥肌が立っていた。
いつものようにばいばいと手を振る菜子が、慌てて結城に駆け寄ってきたのが見えて、思わず目を見開いた。
「ね、すごいこと気づいた! 紫璃って言うと、こう、ニッてなる!」
人差し指で、わざとらしく口角をあげる菜子。
それだけを早々と伝えると、颯爽とマンションへ駆けていく。風に吹かれて、髪の毛がそよそよ泳いでいるのを、結城はじっと見ていた。
どうでもいいことをわざわざ伝えにきたのかと、笑い飛ばそうとしていた。自分の思考通りにはいかなくて、真っ赤になった顔を下に向いて隠していた。
ようやく離れたその距離で、菜子の背中を遠くから見つめていたのだった。