空の下の笑顔の樹
       ふふふん♪

「美咲、こないだ約束したとおり、携帯電話を買ってきてあげたわよ」
 小学校を卒業して春休みに入ってから、中学校の入学祝いとして、お母さんが携帯電話をプレゼントしてくれた。
「どうもありがとう!」
 あたしの携帯電話は白色の折りたたみ式のガラケー。お父さんもお母さんもあたしの友達もスマホを持っているので、本音を言えば、スマホが欲しかった。それでも、ピカピカの携帯電話の電源を入れた瞬間に嬉しくなって、あたしの携帯電話を真奈美に見せびらかしてみた。ちょっとした優越感。
「いいなあ。お姉ちゃんだけずるいよ。うちも携帯電話が欲しいよ」
「真奈美も中学生になったら買ってあげるから、あと一年待ってなさい」
「ええー。あと一年も待つの? そんなに待ったら、うちはよぼよぼのおばあちゃんになっちゃうよ」
 瞳をうるうるさせて、お母さんにしつこくおねだりしている真奈美は、いつも大げさにものを言う。
「そんなにしつこくおねだりしたら、買ってもらえなくなっちゃうよ。あとでちょっとだけ触らせてあげるからさ」
「わーい! やったあ! ちょっとだけじゃなくて! いっぱい触らせてね!」
 大興奮状態の真奈美の目の前で、お母さんに電話の掛け方とメールの送り方を教えてもらい、さっそく友達に電話を掛けて、メールアドレスを教えてもらった。これであたしもみんなの仲間入り。
「通話やメールの他にも、いろんな機能があるから、取扱説明書を読んでみてね」
「うん。あとで読んでみるね」
 難しい漢字がびっしり書かれている取扱説明書を読むのは後回し。
「ねえ、お母さん。この丸い穴はなあに?」
「その穴は、カメラのレンズよ」
「あ、この穴がカメラのレンズなんだ。画像を撮るには、どのボタンを押せばいいの?」
「その真ん中の大きなボタンを押せばいいのよ」
「このボタンを押せばいいんだね。試しに真奈美の画像を撮ってみようかな」
「わーい! 撮って撮って!」
 はしゃぎまくっている真奈美の目の前で、お母さんにカメラの使い方と画像の保存の仕方も教えてもらい、データフォルダを開いて、家族フォルダを作った。これであたしもカメラウーマン。
「それじゃあ、撮るね」 
 笑顔でばんざいしている真奈美に携帯電話のカメラを向けてみた。
「つぶつぶ太郎、観光バス、ばんざーい!」
 パシャ! 自分の携帯電話のカメラのシャッター音。なんとも言えない嬉しい響きだ。
「見せて見せて!」
「ほら! よく撮れてるでしょ!」
「うん! うちの顔と手がくっきり映ってる!」
 大興奮状態のあたしと真奈美。お母さんがクスクス笑っている。
「ねえねえ、お姉ちゃん。うちにも撮らせて」
「いいよ。あたしとお母さんの画像を撮ってみて」
「うん! 撮ってあげる!」
 あたしの携帯電話を真奈美に手渡して、お母さんと肩を組んでカメラのレンズを見つめてみた。写メを撮ってもらうのは初めてじゃないのに、今日はなんだか妙に緊張する。
「お姉ちゃん、ちょっと表情が硬いよ。もっと笑って笑って」
 カメラマン気取りの真奈美に言われたとおり、肩の力を抜いてリラックスして、にっこりと微笑んでみた。
「どう? 笑顔になってる?」
「うん。お姉ちゃんもお母さんも笑顔になってるよ。それじゃあ、撮るね」
 パシャ! 自分の携帯電話のカメラのシャッター音。何回聞いても嬉しい響きだ。
「今度は、三人で一緒に写ろうよ」
「うん! 三人で一緒に写ろう!」
 真奈美から携帯電話を受け取り、セルフタイマーをセットして、あたしと真奈美とお母さんのスリーショット画像を撮ってみた。
「撮影した画像をプリントアウトしてあげようか」
 お母さんが笑顔で言ってくれた。
「うん! プリントアウトしてみて!」
 お母さんに撮り立てほやほやの画像をプリントアウトしてもらい、プリンターから出てきた三枚の写真を机の横の壁に貼ってみた。あたしも真奈美もお母さんも、そんなに美人じゃないと思うけど、写真写りは良いほうだと思う。
「画像を撮るのって、すごく楽しいね」
「うん! すっごく楽しい! もっといろんな画像を撮ろうよ!」
「じゃあさ、今からお散歩に行こうか」
「うん! お散歩に行こう! つぶつぶ太郎、観光バス、ばんざーい!」 
 まだまだ大興奮状態なのか、真奈美がまた叫んだ。
「携帯電話に夢中になるのはわかるんだけど、もう五時を過ぎてるから、お散歩に行くのは明日にしなさいね」
 お母さんは冷静な様子。
「うん。じゃあ、明日にするね」
 真奈美と一緒にお散歩に行きたいところだったけど、携帯電話をプレゼントしてくれたお母さんの言うことを素直に聞いて、今日は家で大人しくしていることにした。
「そろそろ晩ご飯の支度を始めなくちゃ。美咲も真奈美も手伝ってね」
「はーい」
 あたしも真奈美も返事をして、晩ご飯の支度を手伝い始めた。
 こねこねこねこねこねこねこね。ひき肉をこねこねこねこねこねこね。こねたひき肉をぱんぱんぱんぱんぱんぱん。今夜の青山家の晩ご飯は、ハンバーグと蒸かし芋とポテトサラダとご飯とお味噌汁。
「ただいま。ふう。やっと我が家に着いた」
「おかえり!」
 会社から帰ってきたお父さんにあたしの携帯電話を見せてみたら、「良かったな」と笑顔で言ってくれた。
「あとでお父さんの画像も撮ってあげるね」
「かっこよく撮ってくれな」
「うん! かっこよく撮ってあげる!」
 あたしはとにかく画像を撮りたくて仕方がない。出来上がった料理をテーブルに運んで椅子に座って、「いただきます」の挨拶をした後、お食事中のお父さんとお母さんと真奈美の画像を撮りまくってみた。どの画像もくっきり映っている。こんなに小さいのに、携帯電話というものは本当にすごい。
「美咲、お行儀が悪いわよ。食事中は携帯電話に触らないようにしなさいね」
 調子に乗りすぎて、お母さんに注意されてしまった。
「美咲の嬉しい気持ちはわかるぞ」
 お父さんはにこにこ微笑んでいる。
「つぶつぶ太郎、観光バス、ばんざーい!」
 ばんざいブームが沸き起こっているのだろうか。真奈美がまた叫んでいる。
「画像を撮るのはまた今度にするね」
 あたしは携帯電話をズボンのポケットに仕舞った。お母さんに言われたことは守らなければならない。

 食器洗いを手伝った後、ベッドの上に寝転がり、携帯電話の取扱説明書を読んでみた。難しい漢字だらけ。目が回ってきてしまう。めんどくさいの一言しか出てこない。携帯電話の取扱説明書を読むのはまた今度にして、五円チョコ美咲というメールアドレスを作ってみた。我ながらナイスなアドレス名だと思う。とにかく気分が良い。
 あたしと真奈美とお母さんのスリーショット画像をメールに添付して、友紀に送ってみたら、すぐに返事が返ってきた。
『メールを送ってくれて、ありがとう。写メを見たわよ。美咲も真奈美ちゃんもお母さんもよく映ってるね。今度、一緒に写メを撮ろうね。ちょっと気になったことがあるんだ。どうして五円チョコかえというアドレスにしたの?』
 五円チョコかえ……。すぐに自分のアドレスを確認してみたら、友紀のメールに書かれていたとおり、あたしのアドレスは、五円チョコかえになっていた。あたしは確かに五円チョコ美咲と入力した。どうして五円チョコかえというアドレスになっているのか。自分でも何がなんだかわからない。アドレスを入力したときに、アルファベットを打ち間違えてしまったのだろうか。
『アドレスを入力したときに、アルファベットを打ち間違えちゃったみたいなんだ。気にしないでね。明日、あたしと真奈美と一緒にお散歩に行かない?』
 すぐにアドレスを作り直して、再び友紀にメールを送ってみたら、すぐに返事が返ってきた。
『五円チョコ美咲になってるよ。アドレス帳に登録したからね。お散歩に行きたいんだけど、明日は午後から塾があるから、また今度にするね』
 友紀に断られてしまったので、他の友達にもメールを送って、お散歩に行こうと誘ってみた。みんな塾や習い事があるようで、あっさり断られてしまった。あたしと真奈美は暇人。他のみんなは忙しい。
「ねえ、お母さん。天気予報を見た?」
「見たわよ。明日は、一日中雨みたいよ」 
「せっかくお散歩に行こうと思ってたのに、すごく残念だな」
「週間予報だと、明後日以降は晴れの日が続くみたいだから、お散歩に行くのは、また今度にしたほうがいいかもね」
「う、うん……」
 明日はどうしてもお散歩に行きたい。何がなんでも晴れてほしい。お風呂に入る前に、スケッチブックにてるてる坊主と太陽さんの絵を描いて、「明日は絶対に晴れますように!」と夜空に向かって叫んでみた。
「つぶつぶ太郎、観光バス、ばんざーい!」
 救急車のサイレンに遠吠えする犬のように叫んでいる真奈美。まだまだおこちゃまだから仕方ない。





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