空の下の笑顔の樹
行きは楽しいけど、帰りは辛い。家に向かって暗い夜道を歩き続けているうちに、あたしも真奈美も口数が減ってきてしまった。テンションは一気にガタ落ち。鼻歌を歌う気にもなれない。
「真奈美、この道はどっちだったっけ?」
「んんー、わかんない」
早く家に帰りたい。早くお母さんの顔を見たい。との思いから、近道をしようとしたばかりに、入り組んだ道に迷い込んでしまった。真奈美が泣きそうな顔をしている。早く大通りに出て、真奈美を安心させてあげたい。こういうときは、お姉さんのあたしが決断するしかない。でも、どの方向に進んでいいのかわからない。道を尋ねようにも、あたしと真奈美の周りには誰もいない。このまま真っ直ぐ進むべきか。右に曲がるべきか。左に曲がるべきか。どうするあたし……。
右に曲がって、道なりに進んでいけば、大通りに出られるわよ。
「真奈美、あたしに何か言った?」
「何も言ってないよ。どうしたの?」
「なんだか声が聞こえたような気がしたんだ。今の声は真奈美の声じゃなかったんだね」
「うん。うちの声じゃないと思うよ。どっちに進むの?」
「右に曲がってみようか」
「わかった。右だね」
不思議な声の言うとおり、右に曲がって、道なりに進んでみたら、大通りに出られた。真奈美が安心したような顔をしている。あたしと真奈美を導いてくれた声は、いったい誰の声だったのか。あたしの空耳だったのだろうか。
「もう少しで家に着くから、頑張って歩こうか」
「うん! つぶつぶ太郎、観光バス、ばんざーい!」
いつもの元気を取り戻してくれた真奈美と一緒に歩き続けて、八時過ぎにやっと家に着いた。ぐーぐー、きゅるるるるー。あたしのお腹も真奈美のお腹も悲鳴を上げている。
「お母さん、ただいま」
「おかえり。ずいぶん遅かったわね。どこまで行ってきたの?」
「川まで行って、帰りに道に迷っちゃったんだ。遅くなって、ごめんなさい」
「お母さん、ごめんなさい」
あたしも真奈美も素直に謝ったことで、お母さんもお父さんも怒らないでいてくれた。今夜も家族揃ってテーブルを囲める。
「おかわり!」
「うちもおかわり!」
あたしも真奈美もご飯をおかわりした。お腹がペコペコのときに食べるご飯は、いつもの何倍も美味しい。
「ご馳走様でした!」
お腹も心も満たされ、食器洗いを手伝った後、携帯電話のデータフォルダを開いて、動物フォルダ、昆虫フォルダ、建物フォルダ、風景フォルダ、空フォルダを作り、撮ってきた画像を整理して、真奈美と一緒に画像を見返してみた。どの画像もよく撮れている。あたしがいちばん気に入った画像は、オレンジ色の夕焼け空の画像。
リビングでテレビを観ていたお母さんにお願いして、オレンジ色の夕焼け空の画像もプリントアウトしてもらった。我ながら上手に撮れたと思う。
「すごく綺麗な夕焼け空ね。あと五枚くらい印刷しようかしら」
お母さんも嬉しそうにしている。まるで写真家になったような気分。
あ、あれ……。オレンジ色の夕焼け空の写真を見つめているうちに、また不思議な感覚に襲われてきて、頭の中に白いものが映った。白いもの。白いもの。
「真奈美、この写真を見てくれない?」
「いいよ」
ベッドの上に寝転がって、マンガを読んでいた真奈美に、オレンジ色の夕焼け空の写真を見せてみた。
「真奈美は、この写真を見て、何か感じたりしない?」
「すごく綺麗だね」
「綺麗なのはわかってるのよ。他に何か感じたりしないの?」
「んんー。何も感じないよ。急にどうしたの?」
「そらならいいんだ。何でもないから気にしないでね」
どうしてあたしの頭の中にだけ白いものが映るのか。考えれば考えるほど怖くなって、オレンジ色の夕焼け空の写真を机の引き出しの奥に仕舞った。
これまでのあたしは、曇りの日でも雨の日でも、気持ちが沈んだりすることはなかったのに、オレンジ色の夕焼け空の画像を撮った日以来、空が曇っていると、気持ちが沈むようになってしまった。どうして急にこうなってしまったのかは自分でもわからない。あたしの感覚は、どこかおかしくなってしまったのだろうか。
ふふふん♪
心機一転という言葉は、勉強が苦手なあたしでも知っている。真新しいブレザーとスクールバッグの香り。今日からあたしは中学生。また新たに気持ちを入れ替えて、家族のために、友達のために、自分のために、これからもっと頑張っていかなければならない。
「入学おめでとう。美咲もいよいよ中学生だな。これはお父さんからの入学祝いだ。遠慮なく受け取りなさい」
「どうもありがとう。すごく大きな箱だね。さっそく開けてみてもいい?」
「いいぞ」
晩ご飯の席で、お父さんがくれた入学祝いの大きな箱を開けてみたら、水彩画用のスケッチブックと絵の具と筆とパレットと筆洗いが入っていた。絵の具は三十六色もあって、筆もパレットも筆洗いも、あたしが使っているものより質が良い。
「いいなあ。うちにも入学祝いをちょうだいよ」
「真奈美はまだ小学六年生だろ。来年あげるから、あと一年待ってなさい」
「ええー。あと一年も待つの? そんなに待ったら、うちはちょーよぼよぼのおばあちゃんになっちゃうよ」
「たった一年で、ちょーよぼよぼのおばあちゃんになるわけがないだろ。くだらない冗談を言ってないで、お父さんの肩を揉みさい」
「いいよ。揉んであげる」
テーブルの下に潜って、お父さんの足を揉み始めた真奈美。
「そこは肩じゃなくて、足だろ」
冷静にツッコミを入れたお父さん。
「あ、間違えちゃった」
「肩と足を間違えるわけがないだろ」
売れない芸人のコントのような、お父さんと真奈美のやり取り。見ていて面白くもないんともない。
「美咲は絵が上手だし、右脳が優れているようだから、画家を目指してみたらどうだ?」
真奈美に肩を揉まれているお父さんが笑顔で言ってくれた。
「んんー。画家になれるものならなってみたいけど、あたしにそこまでの才能はないと思うんだ」
「そんな簡単に諦めてはいかんぞ。若いうちはとにかくチャレンジだ」
「それじゃあ、画家になれるように、これからも絵を描き続けていくね」
「世の中はそんなに甘くないのよ。絵を描くことはとても良いことだと思うけど、将来のことを考えて、ちゃんと勉強もしなさいね」
「うん。ちゃんと勉強もするね」
お母さんが言ったとおり、世の中はそんなに甘くないと思うし、絵を描くことが好きなだけでは画家にはなれないと思う。あたしが画家になれるかどうかは今後の努力次第。これまでのあたしは、百円ショップのスケッチブックに鉛筆と色鉛筆で絵を描いていただけだったので、お父さんがくれた入学祝いの画材で水彩画も描くようにして、本格的に絵の勉強をするため、美術部に入ることに決めた。
「真奈美、この道はどっちだったっけ?」
「んんー、わかんない」
早く家に帰りたい。早くお母さんの顔を見たい。との思いから、近道をしようとしたばかりに、入り組んだ道に迷い込んでしまった。真奈美が泣きそうな顔をしている。早く大通りに出て、真奈美を安心させてあげたい。こういうときは、お姉さんのあたしが決断するしかない。でも、どの方向に進んでいいのかわからない。道を尋ねようにも、あたしと真奈美の周りには誰もいない。このまま真っ直ぐ進むべきか。右に曲がるべきか。左に曲がるべきか。どうするあたし……。
右に曲がって、道なりに進んでいけば、大通りに出られるわよ。
「真奈美、あたしに何か言った?」
「何も言ってないよ。どうしたの?」
「なんだか声が聞こえたような気がしたんだ。今の声は真奈美の声じゃなかったんだね」
「うん。うちの声じゃないと思うよ。どっちに進むの?」
「右に曲がってみようか」
「わかった。右だね」
不思議な声の言うとおり、右に曲がって、道なりに進んでみたら、大通りに出られた。真奈美が安心したような顔をしている。あたしと真奈美を導いてくれた声は、いったい誰の声だったのか。あたしの空耳だったのだろうか。
「もう少しで家に着くから、頑張って歩こうか」
「うん! つぶつぶ太郎、観光バス、ばんざーい!」
いつもの元気を取り戻してくれた真奈美と一緒に歩き続けて、八時過ぎにやっと家に着いた。ぐーぐー、きゅるるるるー。あたしのお腹も真奈美のお腹も悲鳴を上げている。
「お母さん、ただいま」
「おかえり。ずいぶん遅かったわね。どこまで行ってきたの?」
「川まで行って、帰りに道に迷っちゃったんだ。遅くなって、ごめんなさい」
「お母さん、ごめんなさい」
あたしも真奈美も素直に謝ったことで、お母さんもお父さんも怒らないでいてくれた。今夜も家族揃ってテーブルを囲める。
「おかわり!」
「うちもおかわり!」
あたしも真奈美もご飯をおかわりした。お腹がペコペコのときに食べるご飯は、いつもの何倍も美味しい。
「ご馳走様でした!」
お腹も心も満たされ、食器洗いを手伝った後、携帯電話のデータフォルダを開いて、動物フォルダ、昆虫フォルダ、建物フォルダ、風景フォルダ、空フォルダを作り、撮ってきた画像を整理して、真奈美と一緒に画像を見返してみた。どの画像もよく撮れている。あたしがいちばん気に入った画像は、オレンジ色の夕焼け空の画像。
リビングでテレビを観ていたお母さんにお願いして、オレンジ色の夕焼け空の画像もプリントアウトしてもらった。我ながら上手に撮れたと思う。
「すごく綺麗な夕焼け空ね。あと五枚くらい印刷しようかしら」
お母さんも嬉しそうにしている。まるで写真家になったような気分。
あ、あれ……。オレンジ色の夕焼け空の写真を見つめているうちに、また不思議な感覚に襲われてきて、頭の中に白いものが映った。白いもの。白いもの。
「真奈美、この写真を見てくれない?」
「いいよ」
ベッドの上に寝転がって、マンガを読んでいた真奈美に、オレンジ色の夕焼け空の写真を見せてみた。
「真奈美は、この写真を見て、何か感じたりしない?」
「すごく綺麗だね」
「綺麗なのはわかってるのよ。他に何か感じたりしないの?」
「んんー。何も感じないよ。急にどうしたの?」
「そらならいいんだ。何でもないから気にしないでね」
どうしてあたしの頭の中にだけ白いものが映るのか。考えれば考えるほど怖くなって、オレンジ色の夕焼け空の写真を机の引き出しの奥に仕舞った。
これまでのあたしは、曇りの日でも雨の日でも、気持ちが沈んだりすることはなかったのに、オレンジ色の夕焼け空の画像を撮った日以来、空が曇っていると、気持ちが沈むようになってしまった。どうして急にこうなってしまったのかは自分でもわからない。あたしの感覚は、どこかおかしくなってしまったのだろうか。
ふふふん♪
心機一転という言葉は、勉強が苦手なあたしでも知っている。真新しいブレザーとスクールバッグの香り。今日からあたしは中学生。また新たに気持ちを入れ替えて、家族のために、友達のために、自分のために、これからもっと頑張っていかなければならない。
「入学おめでとう。美咲もいよいよ中学生だな。これはお父さんからの入学祝いだ。遠慮なく受け取りなさい」
「どうもありがとう。すごく大きな箱だね。さっそく開けてみてもいい?」
「いいぞ」
晩ご飯の席で、お父さんがくれた入学祝いの大きな箱を開けてみたら、水彩画用のスケッチブックと絵の具と筆とパレットと筆洗いが入っていた。絵の具は三十六色もあって、筆もパレットも筆洗いも、あたしが使っているものより質が良い。
「いいなあ。うちにも入学祝いをちょうだいよ」
「真奈美はまだ小学六年生だろ。来年あげるから、あと一年待ってなさい」
「ええー。あと一年も待つの? そんなに待ったら、うちはちょーよぼよぼのおばあちゃんになっちゃうよ」
「たった一年で、ちょーよぼよぼのおばあちゃんになるわけがないだろ。くだらない冗談を言ってないで、お父さんの肩を揉みさい」
「いいよ。揉んであげる」
テーブルの下に潜って、お父さんの足を揉み始めた真奈美。
「そこは肩じゃなくて、足だろ」
冷静にツッコミを入れたお父さん。
「あ、間違えちゃった」
「肩と足を間違えるわけがないだろ」
売れない芸人のコントのような、お父さんと真奈美のやり取り。見ていて面白くもないんともない。
「美咲は絵が上手だし、右脳が優れているようだから、画家を目指してみたらどうだ?」
真奈美に肩を揉まれているお父さんが笑顔で言ってくれた。
「んんー。画家になれるものならなってみたいけど、あたしにそこまでの才能はないと思うんだ」
「そんな簡単に諦めてはいかんぞ。若いうちはとにかくチャレンジだ」
「それじゃあ、画家になれるように、これからも絵を描き続けていくね」
「世の中はそんなに甘くないのよ。絵を描くことはとても良いことだと思うけど、将来のことを考えて、ちゃんと勉強もしなさいね」
「うん。ちゃんと勉強もするね」
お母さんが言ったとおり、世の中はそんなに甘くないと思うし、絵を描くことが好きなだけでは画家にはなれないと思う。あたしが画家になれるかどうかは今後の努力次第。これまでのあたしは、百円ショップのスケッチブックに鉛筆と色鉛筆で絵を描いていただけだったので、お父さんがくれた入学祝いの画材で水彩画も描くようにして、本格的に絵の勉強をするため、美術部に入ることに決めた。