空の下の笑顔の樹
 定休日の午前中に、駅前の商店街にある帽子屋さんに行ってみた。そんなに種類は多くないけど、可愛らしいデザインの麦わら帽子が並べられてあったので、私も麦わら帽子を買ってみることにした。値段は千九百八十円から五千九百八十円。麦わら帽子は意外と高いものだ。せっかく買うのだから、お金に糸目はつけないことにして、素材が良いものを選び、優太さんが被っていた麦わら帽子のテープリボンは青色だったので、私はオレンジ色のテープリボンが付いている麦わら帽子を買ってみた。
「菓絵ちゃんが、麦わら帽子を買いに来るなんて珍しいね。何か心境の変化でもあったのかい?」
 私は帽子はほとんど被らないので、帽子屋さんのおじさんが不思議がるのも無理はないと思う。
「なんとなく麦わら帽子を被ってみたくなっただけです」
 優太さんに影響されたとは恥ずかしくて言えず、お財布からお金を取り出して、麦わら帽子の代金を帽子屋さんのおじさんに手渡した。
「よかったら、また買いに来ておくれ」
「はい。どうもありがとうございました」
 帽子屋さんのおじさんから麦わら帽子の入った紙袋を受け取った瞬間に嬉しくなって、お店から出た所で麦わら帽子を被り、そのまま買い物をして帰ってきた。
 嬉しさは抑えきれない。生まれて初めて買った麦わら帽子を被って鏡の前に立ち、クローゼットから服を引っ張り出して、コーディネートをして遊んでみた。自分では似合っていると思う。
 室内で麦わら帽子を被る必要はないけど、優太さんが言っていたように、部屋に飾っているだけではもったいない。麦わら帽子を被って店番をしてみたところ、お向かいさんのおばあちゃんもご近所のみなさんも亮介くんも健太郎くんも千早ちゃんも他の常連さんたちも、似合っていると言ってくれた。優太さんが何て言ってくれるのか楽しみだ。

 私の駄菓子屋のお客さんは、人だけではない。野良猫のミーちゃんとランランちゃんとニボッシーくんも、私の駄菓子屋の大切なお客さんだ。今日もすごく暑いから、扇風機に当たりに来たのだと思う。
「ミーちゃん、ランランちゃん、ニボッシーくん、いらっしゃい」
「にゃあ」
「にゃあ」
「にゃあ」
 私が話し掛けると、ミーちゃんもランランちゃんもニボッシーくんも、とっても可愛らしい鳴き声で返事をしてくれる。
「私の麦わら帽子はどう? 似合ってるかな?」
「にゃあ」
「にゃあ」
「にゃあ」
 似合っているよ。とでも言ってくれたのだろうか。ミーちゃんもランランちゃんもニボッシーくんも、うっとりとしたような眼差しで、私のことを見つめている。本当に可愛らしい猫ちゃんたち。
「おやつをあげるから、ちょっと待っててね」
「にゃあ」
「にゃあ」
「にゃあ」
 ミーちゃんの大好物は、マグロの缶詰。ランランちゃんの大好物は、かつおぶし。ニボッシーくんの大好物は、名前のとおり煮干し。私も煮干しが好きで、一日に十匹くらいは食べている。
 
 とても人懐こくて可愛らしいミーちゃんとランランちゃんとニボッシーくんに、それぞれの大好物を与えた後、駄菓子屋の軒先に立って、眩しい青空を見上げていたとき、優太さんが私の方に向かって歩いてきた。上は緑色のTシャツ。下はデニムの半ズボン。背中に青色のリュックサック。首にカメラ。右手にカメラの三脚。頭には麦わら帽子。先週の土曜日と同じスタイル。今日も、夕焼け空の写真を撮りに行くのだと思う。
「菓絵さん、こんにちは」
「優太さん、こんにちは。いらっしゃい」
「だいぶ秋めいてきましたね」
「そうですね。朝晩はいくらか涼しくなりましたし、鈴虫の鳴き声が聞こえてくるようになりましたね」
「鈴虫の鳴き声は風流ですよね。僕は子供の頃に鈴虫を飼っていたことがありまして」
 私の麦わら帽子のことには何も触れず、鈴虫の話を始めた優太さん。今まで気づかなかったけど、優太さんはものすごい鈍感な人なのだろうか。
「あ、菓絵さんも、麦わら帽子を被ってますね」
 優太さんがやっと気づいてくれた。
「気づくのが遅いですよ。この麦わら帽子は、水曜日に駅前の商店街にある帽子屋さんに行ったときに買ってきた麦わら帽子なんです」
「オレンジ色のテープリボンが可愛らしいですね。菓絵さんにすごく似合っていると思います」
「私の麦わら帽子を褒めてくれて、どうもありがとうございます」
 優太さんも似合っていると言ってくれた。素直に嬉しい。
「記念に写真を撮ってもいいですか?」
「あ、はい。いいですよ」
 夕焼け空の写真はよく撮っている優太さんだけど、私の写真は滅多に撮らないので、どんなポーズをしていいのかわからず、麦わら帽子のつばを両手で掴んでみた。恥ずかしいけど、すごく嬉しい。
「それでは撮りますね。はい、チーズ」
 パシャ! 優太さんはにっこりと微笑みながら、カメラのシャッターを押してくれた。
「私の写真を撮ってくれて、どうもありがとうございました」
「どう致しまして。麦わら帽子姿の菓絵さんの写真は、来週の土曜日に持ってきますね」
「はい。楽しみにしています。私の写真を撮ってくれたお礼として、麦わら帽子姿の優太さんの絵をプレゼントしますね」
 先週の土曜日の午後に描いた絵を優太さんに手渡してみた。我ながら上手に描けたと思うので、優太さんの反応が楽しみだ。
「わあ、すごいリアルな絵ですね。ものすごく嬉しいです。菓絵さんは相変わらず絵がお上手ですね」
 優太さんは私の想像以上に喜んでくれた。褒められるのは嬉しい。でも、ちょっと恥ずかしい。
「絵が邪魔になるといけませんので、帰りに私の家に寄ってもらえませんか?」
「あ、はい。帰りにまた寄らせていただきます。それで、あの、もしよかったら、来週の土曜日に、僕が通ってる丘に一緒に行ってもらえませんか?」
 優太さんがいつになく真剣な表情で私に言ってきた。一年半以上もの間、私の駄菓子屋に通い続けてくれている優太さんだけど、私を誘ってくれたのは初めてだったので、ちょっと驚いてしまい、すぐに返事をすることができなかった。こんなにドキドキしたのは、就職の面接以来だと思う。
「やっぱり、無理ですかね」
「いえいえ、土曜日の午後だけ臨時休業にすれば大丈夫です。優太さんと一緒に行かせてもらいますね」
「どうもありがとうございます!」
 私の返事を聞いた優太さんは、ものすごく嬉しそうにしていて、うまい棒をニ十本と焼きとうもろこしを一本とコーヒー牛乳を五本も買ってくれた。
「どんな服装で行けばいいですか?」
「かなり歩きますので、僕が着ているような感じの歩きやすい服装がいいと思います」
「わかりました。私も歩きやすい服装で行きますね」
「来週の土曜日も、今日と同じ時間に来ますので、よろしくお願いします」
「はい。楽しみにしています」
「それでは、そろそろ出発しますね」
「はい。いってらっしゃい」
 焼きとうもろこしをぺろりと平らげた優太さんは、ニ十本ものうまい棒と五本ものコーヒー牛乳をリュックサックに詰め込んで、右手で麦わら帽子を押さえながら駅に向かって歩いていった。
 
 ふんふん♪ ふふふん♪ ふふふふふーん♪
 
 私は嬉しいことがあると、鼻歌を歌う癖がある。優太さんの前では平静を装っていた私だけど、一人になった瞬間に、一気に嬉しさがこみ上げてきて、商品の焼きとうもろこしを全部食べてしまった。
「菓絵さん、こんにちは」
「中島さん、こんにちは。いらっしゃい」
「焼きとうもろこしはありますか?」
「私が全部食べてしまったんです。ごめんなさい」
「そうですか。それでは、また明日来ます」
「あ、はい。お待ちしております」





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