空の下の笑顔の樹
「菓絵さんは、祖父母さんから引き継いだ小さな駄菓子屋さんを営んでいてね。自宅の一室でお絵描き教室を開いていて、絵がものすごく上手で、頭が良くて、誰からも好かれる素敵な女性で、私も菓絵さんに憧れていたのよ」
あたしが憧れている森川先生が憧れるほどの素敵な女性があたしの中にいる。本当に不思議で不思議で仕方がない。
「森川先生は、菓絵さんの駄菓子屋さんとお絵描き教室に通っていたんですね」
「そうよ。あの当時は、ほとんど毎日のように菓絵さんの駄菓子屋さんに通っていてね。
お絵描き教室には、週に一度通っていたの。この写真に写っているお店が、菓絵さんの駄菓子屋さんで、この写真に写っているお部屋が、菓絵さんのお絵描き教室よ」
森川先生のアルバムの写真に写っている菓絵さんの駄菓子屋さんは、あたしのお父さんが言っていたとおり、建物が古くて、レトロな雰囲気が漂っている。お絵描き教室のお部屋は、いかにも昭和といった感じのお部屋。
「それにしても、本当に不思議ね。みんながみんな、誰かの生まれ変わりだとは思わないけど、もしかしたら、私も誰かの生まれ変わりなのかもしれないわね」
「森川先生は、絵がとてもお上手ですので、菓絵さんのような絵が上手な人の生まれ変わりなのかもしれませんね」
「もしかしたら、そうかもしれないわね。私は青山さんと出会うまで、自分が誰かの生まれ変わりだなんて考えたこともなかったから、世の中のほとんどの人は、自分では気づかないうちに一生を終えてしまうのかもしれないわね」
あたしは、森川先生に言われるまで、自分が菓絵さんの生まれ変わりだなんて考えたことすらなかった。森川先生と出会っていなければ、菓絵さんの生まれ変わりだということに気づかないまま、一生を終えていたかもしれない。
「生まれ変わりの話はこのくらいにしておいて、アルバムの写真を見ましょうか」
「はい。この少女が子供時代の森川先生なんですか?」
あたしが描いた少女とそっくりな少女。髪型も目も鼻も口も何もかもそっくり。
「小学五年生の時の私よ。この写真は菓絵さんが撮ってくれたの。こうして見ると、すごく懐かしいわ。青山さんが描いてくれた肖像画とそっくりね」
子供時代の森川先生の顔をそっくりに描いた菓絵さんの記憶力は半端じゃない。
「この写真に写っている男性は、どなたなんですか?」
菓絵さんの隣に立っている麦わら帽子姿の男性。なぜだか妙に気になる。
「その男性は、菓絵さんの婚約者だった山下優太さんよ」
「菓絵さんには、婚約者さんがいたんですね」
「うん。優太さんも、菓絵さんの駄菓子屋さんの常連さんでね。お絵描き教室にも通っていて、このアルバムに掲載されている写真のほとんどは、優太さんが撮ってくれた写真なのよ」
「そうだったんですか。山下優太さんは、今はどうされているんですか?」
「優太さんは、菓絵さんがお亡くなりになられてから、どこかへ引っ越されたようで、今はどこでどうされているのかわからないのよ。当時は携帯電話が無かったから、連絡を取りたくても取れなくてね」
「何か手がかりはないんですか?」
「手がかりといえば、この写真だけね」
寂しげな表情を浮かべている森川先生がアルバムを捲り、大きな写真に指を指した。
菓絵さんも山下優太さんもお絵描き教室の子供たちも麦わら帽子を被っていて、後ろに大きな樹が写っている写真。このー樹、なんの樹、気になる樹。
「あ、この樹に見覚えがあります」
「青山さんも、この丘に行ったことがあるの?」
「はい。あたしは川崎市に引っ越してくるまで、この樹のある丘の下のアパートで暮らしていまして、妹の真奈美とこの丘の上でよく遊んでいたんです」
「そうだったの。この写真のおかげで、菓絵さんが青山さんに生まれ変わった理由がわかったわ」
「どういうことでしょうか?」
「今から話すことは、あくまでも、私の想像だからね」
「あ、はい」
真剣な表情のままの森川先生が、いったいどんな話をしてくれるのか、ものすごくドキドキする。
「私は、空の上の世界が存在すると信じているの。大切な人に逢いたいとの思いからね。空の上の世界に上がった菓絵さんは、この世界に自由に降りてくることが出来て、ずっと優太さんの様子を見守っていたと思うの。でも、優太さんと直接話すことができなくて、伝えたいことがあるのに伝えられずにいて、辛い想いをしていたと思うの。それで、何とかして、自分の想いを優太さんに伝えるために、この丘の近くで暮らしている家の子に生まれ変わろうと思ったんじゃないかと思うの。その子が、青山さんだったというわけ」
「なるほど」
あたしは思わず納得してしまった。森川先生の言ったことが合っているとしたら、菓絵さんは、あたしのお父さんとお母さんを選んでくれたということになる。なんだかすごく嬉しい。
「山下優太さんは、今でもこの丘に通っていると思いますか?」
「それはなんとも言えないわね。菓絵さんがお亡くなりになられてから、二十年も経っているし、私も優太さんに逢いたくて、何度かこの丘に行ったことがあるんだけど、優太さんには逢えなかったのよ。でも、優太さんは、菓絵さんを心の底から愛しているようだったから、今でもこの丘に通い続けているかもしれないわね」
「菓絵さんと山下優太さんが、この丘に通っていたのは土曜日ですよね?」
「うん。土曜日よ」
「今度の土曜日に、この丘に行ってみようと思います。部活を休んでもいいですか?」
「いいわよ。青山さんと一緒に行きたいんだけど、部活に顔を出さないといけないから、私は行けないのよ」
「あたし一人で行ってみます」
「うん。この丘の場所は覚えてる?」
「はっきりとは覚えていません。お父さんとお母さんに聞けばわかると思います」
「それなら、私が教えなくても大丈夫ね」
「はい。大丈夫だと思います」
「青山さんに、この写真とこの写真を渡しておくわね」
「はい。どうもありがとうございます」
森川先生から、菓絵さんと山下優太さんが肩を並べて写っている写真と丘の写真を受け取り、ノートの間に挟んだ。絶対に無くすわけにはいかない。
「優太さんに逢えたら、携帯で私に連絡してね」
「はい。必ず連絡します」
「こんな夜遅くまで、私に付き合ってくれてありがとう。車で送るわね」
「はい。よろしくお願いします」
森川先生に車で送ってもらい、家に帰った。
さっそくお父さんとお母さんに丘の場所を聞いて、地図を書いてもらい、丘の写真の裏側を見てみたら、こう書かれてあった。
菓絵さんと優太さんの秘密の丘。
空の下の笑顔の樹の下で。
平成二年八月四日。
夏休みの素敵な思い出。
菓絵さんがあたしに生まれ変わったのも、あたしと森川先生が出会ったのも、目には見えない不思議な運命。あたしに生まれ変わってくれた菓絵さんのために、森川先生のために、山下優太さんのために、自分のために、何がなんでも絶対に、山下優太さんに逢わなければならない。
あたしが憧れている森川先生が憧れるほどの素敵な女性があたしの中にいる。本当に不思議で不思議で仕方がない。
「森川先生は、菓絵さんの駄菓子屋さんとお絵描き教室に通っていたんですね」
「そうよ。あの当時は、ほとんど毎日のように菓絵さんの駄菓子屋さんに通っていてね。
お絵描き教室には、週に一度通っていたの。この写真に写っているお店が、菓絵さんの駄菓子屋さんで、この写真に写っているお部屋が、菓絵さんのお絵描き教室よ」
森川先生のアルバムの写真に写っている菓絵さんの駄菓子屋さんは、あたしのお父さんが言っていたとおり、建物が古くて、レトロな雰囲気が漂っている。お絵描き教室のお部屋は、いかにも昭和といった感じのお部屋。
「それにしても、本当に不思議ね。みんながみんな、誰かの生まれ変わりだとは思わないけど、もしかしたら、私も誰かの生まれ変わりなのかもしれないわね」
「森川先生は、絵がとてもお上手ですので、菓絵さんのような絵が上手な人の生まれ変わりなのかもしれませんね」
「もしかしたら、そうかもしれないわね。私は青山さんと出会うまで、自分が誰かの生まれ変わりだなんて考えたこともなかったから、世の中のほとんどの人は、自分では気づかないうちに一生を終えてしまうのかもしれないわね」
あたしは、森川先生に言われるまで、自分が菓絵さんの生まれ変わりだなんて考えたことすらなかった。森川先生と出会っていなければ、菓絵さんの生まれ変わりだということに気づかないまま、一生を終えていたかもしれない。
「生まれ変わりの話はこのくらいにしておいて、アルバムの写真を見ましょうか」
「はい。この少女が子供時代の森川先生なんですか?」
あたしが描いた少女とそっくりな少女。髪型も目も鼻も口も何もかもそっくり。
「小学五年生の時の私よ。この写真は菓絵さんが撮ってくれたの。こうして見ると、すごく懐かしいわ。青山さんが描いてくれた肖像画とそっくりね」
子供時代の森川先生の顔をそっくりに描いた菓絵さんの記憶力は半端じゃない。
「この写真に写っている男性は、どなたなんですか?」
菓絵さんの隣に立っている麦わら帽子姿の男性。なぜだか妙に気になる。
「その男性は、菓絵さんの婚約者だった山下優太さんよ」
「菓絵さんには、婚約者さんがいたんですね」
「うん。優太さんも、菓絵さんの駄菓子屋さんの常連さんでね。お絵描き教室にも通っていて、このアルバムに掲載されている写真のほとんどは、優太さんが撮ってくれた写真なのよ」
「そうだったんですか。山下優太さんは、今はどうされているんですか?」
「優太さんは、菓絵さんがお亡くなりになられてから、どこかへ引っ越されたようで、今はどこでどうされているのかわからないのよ。当時は携帯電話が無かったから、連絡を取りたくても取れなくてね」
「何か手がかりはないんですか?」
「手がかりといえば、この写真だけね」
寂しげな表情を浮かべている森川先生がアルバムを捲り、大きな写真に指を指した。
菓絵さんも山下優太さんもお絵描き教室の子供たちも麦わら帽子を被っていて、後ろに大きな樹が写っている写真。このー樹、なんの樹、気になる樹。
「あ、この樹に見覚えがあります」
「青山さんも、この丘に行ったことがあるの?」
「はい。あたしは川崎市に引っ越してくるまで、この樹のある丘の下のアパートで暮らしていまして、妹の真奈美とこの丘の上でよく遊んでいたんです」
「そうだったの。この写真のおかげで、菓絵さんが青山さんに生まれ変わった理由がわかったわ」
「どういうことでしょうか?」
「今から話すことは、あくまでも、私の想像だからね」
「あ、はい」
真剣な表情のままの森川先生が、いったいどんな話をしてくれるのか、ものすごくドキドキする。
「私は、空の上の世界が存在すると信じているの。大切な人に逢いたいとの思いからね。空の上の世界に上がった菓絵さんは、この世界に自由に降りてくることが出来て、ずっと優太さんの様子を見守っていたと思うの。でも、優太さんと直接話すことができなくて、伝えたいことがあるのに伝えられずにいて、辛い想いをしていたと思うの。それで、何とかして、自分の想いを優太さんに伝えるために、この丘の近くで暮らしている家の子に生まれ変わろうと思ったんじゃないかと思うの。その子が、青山さんだったというわけ」
「なるほど」
あたしは思わず納得してしまった。森川先生の言ったことが合っているとしたら、菓絵さんは、あたしのお父さんとお母さんを選んでくれたということになる。なんだかすごく嬉しい。
「山下優太さんは、今でもこの丘に通っていると思いますか?」
「それはなんとも言えないわね。菓絵さんがお亡くなりになられてから、二十年も経っているし、私も優太さんに逢いたくて、何度かこの丘に行ったことがあるんだけど、優太さんには逢えなかったのよ。でも、優太さんは、菓絵さんを心の底から愛しているようだったから、今でもこの丘に通い続けているかもしれないわね」
「菓絵さんと山下優太さんが、この丘に通っていたのは土曜日ですよね?」
「うん。土曜日よ」
「今度の土曜日に、この丘に行ってみようと思います。部活を休んでもいいですか?」
「いいわよ。青山さんと一緒に行きたいんだけど、部活に顔を出さないといけないから、私は行けないのよ」
「あたし一人で行ってみます」
「うん。この丘の場所は覚えてる?」
「はっきりとは覚えていません。お父さんとお母さんに聞けばわかると思います」
「それなら、私が教えなくても大丈夫ね」
「はい。大丈夫だと思います」
「青山さんに、この写真とこの写真を渡しておくわね」
「はい。どうもありがとうございます」
森川先生から、菓絵さんと山下優太さんが肩を並べて写っている写真と丘の写真を受け取り、ノートの間に挟んだ。絶対に無くすわけにはいかない。
「優太さんに逢えたら、携帯で私に連絡してね」
「はい。必ず連絡します」
「こんな夜遅くまで、私に付き合ってくれてありがとう。車で送るわね」
「はい。よろしくお願いします」
森川先生に車で送ってもらい、家に帰った。
さっそくお父さんとお母さんに丘の場所を聞いて、地図を書いてもらい、丘の写真の裏側を見てみたら、こう書かれてあった。
菓絵さんと優太さんの秘密の丘。
空の下の笑顔の樹の下で。
平成二年八月四日。
夏休みの素敵な思い出。
菓絵さんがあたしに生まれ変わったのも、あたしと森川先生が出会ったのも、目には見えない不思議な運命。あたしに生まれ変わってくれた菓絵さんのために、森川先生のために、山下優太さんのために、自分のために、何がなんでも絶対に、山下優太さんに逢わなければならない。