空の下の笑顔の樹
ふんふん♪ ふふふん♪ ふふふふふーん♪
鼻歌を歌いながら家に入り、優太さんがプレゼントしてくれた二機の紙飛行機を机の上に飾って、今日の出来事を祖父母に報告してみた。
来週の土曜日も……。私は嬉しさのあまり、今後のことを何も考えず、勢いだけで返事をしてしまった。優太さんは土日と祭日がお休み。私は平日の水曜日がお休み。来週の土曜日も優太さんと一緒に秘密の丘に行くには、来週の土曜日の午後も臨時休業にしなければならない。それか、思い切って定休日を変えるかだ。でも、ずっと変えていない定休日を変えることには大きな抵抗がある。また土曜日の午後だけ臨時休業にするべきなのか。思い切って定休日を変えるべきなのか。すぐには決断できない。
「おじいちゃんとおばあちゃんにとても大切なお話があります。さっき報告したとおり、今日という日は、ここ数年間の中で、いちばん記憶に残る素敵な日になりました。私は来週の土曜日も、優太さんと一緒に秘密の丘に行きたいです。定休日を、水曜日から土曜日に変えてもいいでしょうか」
祖父母からの返事はない。いつもの表情のまま。こういうときは、自分で考えて決めるしかない。私は思い切って決断し、定休日を水曜日から土曜日に変えることに決めた。自分に都合のいい考え方かもしれないけど、私を見守り続けてくれている祖父母なら、いいと言ってくれていると思う。
お風呂から出て、リビングの壁に掛けられている時計を見たら、一時半を過ぎていた。私はこの時間はいつも布団に入って眠っている。すごく眠いけど、布団に入る前に眠たい目を擦って、今日一日の中で体験したことや感じたことなどをノートに書いてみた。
いっぱい歩いた。
いっぱい汗を掻いた。
お日様の光をいっぱい浴びた。
いろんな空の表情を見た。
いろんな形の雲を見た。
いろんな色の星を見た。
いろんな風を感じた。
空気が美味しかった。
優太さんといろんな話をした。
優太さんに写真を撮ってもらった。
優太さんと一緒に紙飛行機を飛ばした。
優太さんと生ビールで乾杯した。
優太さんの人柄が改めてわかった。
とても刺激的で楽しい一日だった。
とても幸せな気持ちになれた。
私は日記を書いたのもかなり久しぶり。なんだか楽しい。でも、浮かれてばかりはいられない。祖父母のために、子供たちのために、お客さんのために、優太さんのために、自分のために、この瞬間から気持ちを切り替えて、これまで以上に頑張って働かなければならない。駄菓子屋を切り盛りするようになってからの私は、毎朝七時半まで寝ていて、満員電車に揺られることもなく、土日も祭日も平日も関係なく、とてもゆったりとした朝を迎えている。商売柄、それはそれで致し方ないことなんだと思うけど、朝寝坊をして、だらだらと過ごすようになってしまったら、祖父母に顔向けできない。気持ちを引き締め直すため、今日から毎朝六時半に起きて、ジョギングを始めることにした。
ジリリリリリー。今朝も目覚まし時計のアラーム音で目が覚めた。昨夜のお酒が残っているのか、ちょっと頭が重い感じがする。ここで自分に甘えて二度寝をしてしまったら、何も生まれない。自分で決めたことは確実に実行しなければならない。私は布団から起き上がり、クローゼットの奥から滅多に着ないジャージを引っ張り出して、服を着替えて履き慣れた運動靴を履いて外に出た。
私が寝ている間に雨が降ったようだ。地面がキラキラと輝いている。雨雲は去ったようで、青空が広がっている。呼吸もしやすく、風も穏やかなので、ジョギングをするには絶好のコンディション。
「菓絵ちゃん、おはよう」
青空を見上げながら、息を大きく吸い込んで深呼吸をしていたところ、竹箒で家の周りを掃除していたお向かいさんのおばあちゃんが、私に気づいて挨拶してくれた。
「おはようございます。おばあちゃんは、相変わらず早起きですね」
「この歳になると、そんなに眠らなくても大丈夫でね。いつも自然と目が覚めるのさ」
大切な旦那様を亡くされてから、ずっと一人暮らしを続けていて、毎日同じリズムで過ごされているお向かいさんのおばあちゃん。年の功とはすごいものだ。私もお向かいさんのおばあちゃんのように歳を取れたらいいと思う。
「そんなに早起きして、どこかへ行くのかい?」
「今からジョギングに行くんです」
「菓絵ちゃんがジョギングをするなんて、すごく珍しいね」
お向かいさんのおばあちゃんが、そう思うのも無理はない。
「健康のために始めたんです。それでは行ってきます」
「いってらっしゃい」
とても元気な様子で、家の周りのお掃除を再開されたお向かいさんのおばあちゃんに見送られ、私はゆっくりと走り出した。爽やかな秋風と新鮮な空気が体を通り抜けていく。なんだかとっても清々しい。私はジョギングをするのもかなり久しぶり。
日曜日の朝ということもあってか、人通りは少ない。元気な子供たちの声で溢れている小学校も中学校も、多くのお客さんで賑わっている駅前の商店街も、ひっそりと静まり返っている。いつも見慣れている風景なのに、今朝はなんだか新鮮に映った。三日坊主にならないように、とにかく続けていくことが大切。
朝ご飯を食べた後、定休日変更のお知らせの貼り紙を作成して、駄菓子屋のシャッターと店内の壁に貼り、いつもの時間に駄菓子屋を開店させた。売り上げが落ちないように、定休日変更のお知らせを行っていかなければならない。
「菓絵さん、こんにちは」
「田中さん、こんにちは。いらっしゃい。定休日を水曜日から土曜日に変えましたので、お知り合いの方に伝えていただけませんか?」
「あ、はい。伝えておきます」
日曜日と月曜日と火曜日は、お客さんの数も売り上げも、いつもと大して変わらなかったけど、水曜日は客足が悪くて、一日中、閑古鳥が鳴いていた。私の駄菓子屋の定休日変更が街の人たちに知れ渡るには、まだまだ時間が掛かりそうな気配。
私の駄菓子屋のお客さんの比率は、男性客が八割程。女性客が二割程。数字のとおり、女性客のほうが圧倒的に少ない。定休日変更のお知らせを行っていくとともに、女性客を増やしていくため、水曜日はレディースデーとし、今年一杯、赤字覚悟で、女性客だけに駄菓子とおもちゃを全品半額で売っていくことに決めた。ただ、五円チョコだけは、二円五十銭という中途半端な価格で売るわけにはいかないので、三円という切りのいい価格に設定して、手書きのチラシを二百枚程作成し、日頃からお世話になっている街のみなさんに配ってみた。私の新たな作戦が、功を奏してくれることを願いながら。
ふんふん♪
ピンボーン。リビングで晩ご飯を食べていたときに家のチャイムが鳴り、玄関の扉を開けてみたら、優太さんが立っていた。先週の土曜日の夜に約束したとおり、私のお絵描き教室に来てくれたのだ。今夜の優太さんのスタイルは、上が緑色のポロシャツ。下が青色のジーンズ。カメラと三脚とリュックサックは持っていくなくて、麦わら帽子も被っていない。
「さあ、どうぞ上がってください」
「は、はい。お、お邪魔させていただきます」
緊張している様子の優太さんは、いつもより口数が少なく、背中を丸めた姿勢で私の家に上がってくれた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
「は、はい。あ、晩ご飯を食べていたんですね。早く来すぎてしまって、どうもすみませんでした」
「いいんですよ。お絵描き教室が始まるまで、まだ二十分くらいありますので、そこのソファーに座って寛いでいてください」
「はい。寛がせていただきます」
まだまだ緊張している様子の優太さんに、お絵描き教室として使用しているリビングのソファーに座ってもらった。私は大急ぎで食器を片付けて、駄菓子とコーヒー牛乳をテーブルに並べた。
「私のお絵描き教室の子供たちは、駄菓子を食べながら絵を描いていますので、優太さんも遠慮なく食べてくださいね」
「はい。ご馳走になります。うまい棒をいただきますね」
大好物のうまい棒を食べたことで緊張がほぐれてきたのか、優太さんはいつもの優しい笑顔になってくれた。
「先週の土曜日に撮った写真を持ってきましたので、見てください」
「はい。あれからずっと楽しみにしていました」
お絵描き教室の子供たちが来る前に、優太さんが手渡してくれた茶色の封筒を開けて、写真を一枚一枚手に取って、じっくりと眺めてみた。
タオルで汗を拭っていた時の私の横顔
入り組んだ坂道を歩いていた時の私の後ろ姿
秘密の丘の上からの風景
空の下の笑顔の樹
真っ白で大きな雲が浮かんでいる青空
空の下の笑顔の樹とオレンジ色の夕焼け空と麦わら帽子姿の私
優太さんの絵を描いていた時の私
うまい棒と五円チョコを食べていた時の私の横顔
私の手と生ビールのジョッキ
ラーメン屋さんのおじさんの顔
顔が赤くなっている私
カウンターに顔を埋めている私
優太さんは、私が気づかないうちに、いろんな写真を撮っていたようだ。
鼻歌を歌いながら家に入り、優太さんがプレゼントしてくれた二機の紙飛行機を机の上に飾って、今日の出来事を祖父母に報告してみた。
来週の土曜日も……。私は嬉しさのあまり、今後のことを何も考えず、勢いだけで返事をしてしまった。優太さんは土日と祭日がお休み。私は平日の水曜日がお休み。来週の土曜日も優太さんと一緒に秘密の丘に行くには、来週の土曜日の午後も臨時休業にしなければならない。それか、思い切って定休日を変えるかだ。でも、ずっと変えていない定休日を変えることには大きな抵抗がある。また土曜日の午後だけ臨時休業にするべきなのか。思い切って定休日を変えるべきなのか。すぐには決断できない。
「おじいちゃんとおばあちゃんにとても大切なお話があります。さっき報告したとおり、今日という日は、ここ数年間の中で、いちばん記憶に残る素敵な日になりました。私は来週の土曜日も、優太さんと一緒に秘密の丘に行きたいです。定休日を、水曜日から土曜日に変えてもいいでしょうか」
祖父母からの返事はない。いつもの表情のまま。こういうときは、自分で考えて決めるしかない。私は思い切って決断し、定休日を水曜日から土曜日に変えることに決めた。自分に都合のいい考え方かもしれないけど、私を見守り続けてくれている祖父母なら、いいと言ってくれていると思う。
お風呂から出て、リビングの壁に掛けられている時計を見たら、一時半を過ぎていた。私はこの時間はいつも布団に入って眠っている。すごく眠いけど、布団に入る前に眠たい目を擦って、今日一日の中で体験したことや感じたことなどをノートに書いてみた。
いっぱい歩いた。
いっぱい汗を掻いた。
お日様の光をいっぱい浴びた。
いろんな空の表情を見た。
いろんな形の雲を見た。
いろんな色の星を見た。
いろんな風を感じた。
空気が美味しかった。
優太さんといろんな話をした。
優太さんに写真を撮ってもらった。
優太さんと一緒に紙飛行機を飛ばした。
優太さんと生ビールで乾杯した。
優太さんの人柄が改めてわかった。
とても刺激的で楽しい一日だった。
とても幸せな気持ちになれた。
私は日記を書いたのもかなり久しぶり。なんだか楽しい。でも、浮かれてばかりはいられない。祖父母のために、子供たちのために、お客さんのために、優太さんのために、自分のために、この瞬間から気持ちを切り替えて、これまで以上に頑張って働かなければならない。駄菓子屋を切り盛りするようになってからの私は、毎朝七時半まで寝ていて、満員電車に揺られることもなく、土日も祭日も平日も関係なく、とてもゆったりとした朝を迎えている。商売柄、それはそれで致し方ないことなんだと思うけど、朝寝坊をして、だらだらと過ごすようになってしまったら、祖父母に顔向けできない。気持ちを引き締め直すため、今日から毎朝六時半に起きて、ジョギングを始めることにした。
ジリリリリリー。今朝も目覚まし時計のアラーム音で目が覚めた。昨夜のお酒が残っているのか、ちょっと頭が重い感じがする。ここで自分に甘えて二度寝をしてしまったら、何も生まれない。自分で決めたことは確実に実行しなければならない。私は布団から起き上がり、クローゼットの奥から滅多に着ないジャージを引っ張り出して、服を着替えて履き慣れた運動靴を履いて外に出た。
私が寝ている間に雨が降ったようだ。地面がキラキラと輝いている。雨雲は去ったようで、青空が広がっている。呼吸もしやすく、風も穏やかなので、ジョギングをするには絶好のコンディション。
「菓絵ちゃん、おはよう」
青空を見上げながら、息を大きく吸い込んで深呼吸をしていたところ、竹箒で家の周りを掃除していたお向かいさんのおばあちゃんが、私に気づいて挨拶してくれた。
「おはようございます。おばあちゃんは、相変わらず早起きですね」
「この歳になると、そんなに眠らなくても大丈夫でね。いつも自然と目が覚めるのさ」
大切な旦那様を亡くされてから、ずっと一人暮らしを続けていて、毎日同じリズムで過ごされているお向かいさんのおばあちゃん。年の功とはすごいものだ。私もお向かいさんのおばあちゃんのように歳を取れたらいいと思う。
「そんなに早起きして、どこかへ行くのかい?」
「今からジョギングに行くんです」
「菓絵ちゃんがジョギングをするなんて、すごく珍しいね」
お向かいさんのおばあちゃんが、そう思うのも無理はない。
「健康のために始めたんです。それでは行ってきます」
「いってらっしゃい」
とても元気な様子で、家の周りのお掃除を再開されたお向かいさんのおばあちゃんに見送られ、私はゆっくりと走り出した。爽やかな秋風と新鮮な空気が体を通り抜けていく。なんだかとっても清々しい。私はジョギングをするのもかなり久しぶり。
日曜日の朝ということもあってか、人通りは少ない。元気な子供たちの声で溢れている小学校も中学校も、多くのお客さんで賑わっている駅前の商店街も、ひっそりと静まり返っている。いつも見慣れている風景なのに、今朝はなんだか新鮮に映った。三日坊主にならないように、とにかく続けていくことが大切。
朝ご飯を食べた後、定休日変更のお知らせの貼り紙を作成して、駄菓子屋のシャッターと店内の壁に貼り、いつもの時間に駄菓子屋を開店させた。売り上げが落ちないように、定休日変更のお知らせを行っていかなければならない。
「菓絵さん、こんにちは」
「田中さん、こんにちは。いらっしゃい。定休日を水曜日から土曜日に変えましたので、お知り合いの方に伝えていただけませんか?」
「あ、はい。伝えておきます」
日曜日と月曜日と火曜日は、お客さんの数も売り上げも、いつもと大して変わらなかったけど、水曜日は客足が悪くて、一日中、閑古鳥が鳴いていた。私の駄菓子屋の定休日変更が街の人たちに知れ渡るには、まだまだ時間が掛かりそうな気配。
私の駄菓子屋のお客さんの比率は、男性客が八割程。女性客が二割程。数字のとおり、女性客のほうが圧倒的に少ない。定休日変更のお知らせを行っていくとともに、女性客を増やしていくため、水曜日はレディースデーとし、今年一杯、赤字覚悟で、女性客だけに駄菓子とおもちゃを全品半額で売っていくことに決めた。ただ、五円チョコだけは、二円五十銭という中途半端な価格で売るわけにはいかないので、三円という切りのいい価格に設定して、手書きのチラシを二百枚程作成し、日頃からお世話になっている街のみなさんに配ってみた。私の新たな作戦が、功を奏してくれることを願いながら。
ふんふん♪
ピンボーン。リビングで晩ご飯を食べていたときに家のチャイムが鳴り、玄関の扉を開けてみたら、優太さんが立っていた。先週の土曜日の夜に約束したとおり、私のお絵描き教室に来てくれたのだ。今夜の優太さんのスタイルは、上が緑色のポロシャツ。下が青色のジーンズ。カメラと三脚とリュックサックは持っていくなくて、麦わら帽子も被っていない。
「さあ、どうぞ上がってください」
「は、はい。お、お邪魔させていただきます」
緊張している様子の優太さんは、いつもより口数が少なく、背中を丸めた姿勢で私の家に上がってくれた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
「は、はい。あ、晩ご飯を食べていたんですね。早く来すぎてしまって、どうもすみませんでした」
「いいんですよ。お絵描き教室が始まるまで、まだ二十分くらいありますので、そこのソファーに座って寛いでいてください」
「はい。寛がせていただきます」
まだまだ緊張している様子の優太さんに、お絵描き教室として使用しているリビングのソファーに座ってもらった。私は大急ぎで食器を片付けて、駄菓子とコーヒー牛乳をテーブルに並べた。
「私のお絵描き教室の子供たちは、駄菓子を食べながら絵を描いていますので、優太さんも遠慮なく食べてくださいね」
「はい。ご馳走になります。うまい棒をいただきますね」
大好物のうまい棒を食べたことで緊張がほぐれてきたのか、優太さんはいつもの優しい笑顔になってくれた。
「先週の土曜日に撮った写真を持ってきましたので、見てください」
「はい。あれからずっと楽しみにしていました」
お絵描き教室の子供たちが来る前に、優太さんが手渡してくれた茶色の封筒を開けて、写真を一枚一枚手に取って、じっくりと眺めてみた。
タオルで汗を拭っていた時の私の横顔
入り組んだ坂道を歩いていた時の私の後ろ姿
秘密の丘の上からの風景
空の下の笑顔の樹
真っ白で大きな雲が浮かんでいる青空
空の下の笑顔の樹とオレンジ色の夕焼け空と麦わら帽子姿の私
優太さんの絵を描いていた時の私
うまい棒と五円チョコを食べていた時の私の横顔
私の手と生ビールのジョッキ
ラーメン屋さんのおじさんの顔
顔が赤くなっている私
カウンターに顔を埋めている私
優太さんは、私が気づかないうちに、いろんな写真を撮っていたようだ。