空の下の笑顔の樹
オレンジ色の空の下の笑顔の紙飛行機。我ながら、素敵なタイトルだと思う。
「暗くなってきましたので、優太さんの絵は、家に帰ってから仕上げますね」
「はい。楽しみにしています。風が冷たくなってきましたが、星空を眺めてから帰りましょうか」
「はい。今夜はどんな星が見られるのか楽しみです」
ずっと笑顔のままの優太さんと空の下の笑顔の樹の下に座って、五円チョコとうまい棒を食べているうちに、群青色の空に星が輝き始めた。優しい光を放っているまんまるのお月さんも、笑顔で微笑んでいるかのように見える。今の私には、どんなものでも笑顔に見えるのかもしれない。
「こうして、まんまるのお月さんを見つめていると、夜空に吸い込まれそうな感覚になります」
「月はとても神秘的ですからね。あ、あの、と、突然ですが、菓絵さんに大切なお話があるんです」
震えた声で言った優太さんは、がばっと勢いよく立ち上がり、空の下の笑顔の樹の下で体育座りをしたままの私の真正面に立った。ついさっきまでの笑顔は消えていて、とても真剣な表情で私のことを見つめている。バクバクバクバクバクバクバクバク。この音は、私の心臓の鼓動の音なのだろうか。緊張しすぎて、何の音なのかわからない。
「今から言うことは、とても恥ずかしいことなんですが、勇気を出して言います」
「は、はい……」
バクバクバクバクバクバクバクバク。この音は、私の心臓の鼓動の音だ。
「僕は! ずっと前から菓絵さんのことが好きだったんです! もしよかったら! 僕と付き合ってください! よろしくお願いします!」
バクバクバクバクバクバクバクバクバクバクバク。私の心臓は今にも破裂しそう。
「やっぱり、ダメですかね」
勇気を出して、私に告白してくれた優太さんが、心配そうな表情で私のことを見つめている。早く返事をしなければならない。でも、言葉が上手く出てこない。
ふう。ふう。ふう。ふう。私は気持ちを落ち着かせるため、何度も深呼吸をして、自分の気持ちを確かめてみることにした。私は優太さんのことが好きなのだろうか。好きでなければ、優太さんと一緒に出かけたりすることもない。私の駄菓子屋にずっと通い続けてくれている優太さんは、ただの常連客ではなくて、私の大切な人。
「返事が遅くなってしまって、どうもすみませんでした。私のことを好きだって言ってくれて、ものすごく嬉しかったです。私こそ、よろしくお願いします」
私は体育座りをしたまま、優太さんに自分の気持ちを伝えてみた。恥ずかしいなんてものじゃない。穴があったら入りたい。私は目を開けていられなくなって、麦わら帽子で顔を隠してしまった。
「やった! ものすごく嬉しいです! どうもありがとうございます!」
優太さんの声が聞こえた瞬間に、麦わら帽子をどかして目を開けてみたら、空の下の笑顔の樹の周りをぐるぐると走り回っている優太さんの姿が見えた。私はものすごく嬉しくなって、優太さんの後に続いて、空の下の笑顔の樹の周りを走り回ってみた。なんだかとっても楽しい。このまま朝まで走り回っていたい気分。
良かったね。おめでとう。
またどこからか、とっても優しい感じの声が聞こえてきたような気がした。小さな声だったので、何を言っていたのかは聞き取れなかった。空の下の笑顔の樹の周りには、私と優太さんしかいない。今の声は誰の声だったのだろう。私の前を走っている優太さんの呟き声だったのだろうか。私の空耳だったのだろうか。気になって仕方がなかったけれど、明るい雰囲気を壊さないため、優太さんの後に続いて、空の下の笑顔の樹の周りを走り回り続けた。
「ちょっと目が回ってきました」
「私も目が回ってきました」
優太さんも私も走り回るのをやめて、空の下の笑顔の樹の下に座り、カラカラに乾いた喉をコーヒー牛乳で潤した。拭いても拭いても汗が止まらない。こんなに汗だくになるまで走り回るなんて……。でも、なんだかとっても清々しい。
「あの、別に言わなくてもいいことなんですが、菓絵さんに話しておきたいことがあるんです」
「はい。どんなことでしょうか」
「僕は、告白をしたのも、女性と付き合うのも、初めてなんです」
「そうだったんですか。優太さんは、とても優しい人柄ですので、もてるんじゃないかと思っていました」
「いえいえ、僕なんか、ぜんぜんもてませんよ。自分で言うのもなんですが、僕は昔から女性と接することが苦手なんです。でも、菓絵さんだけは平気なんです」
「そう言ってもらえて、すごく嬉しいです。実は、私も男性とお付き合いをするのは初めてなんです」
「そうだったんですか。菓絵さんは美人で人気者ですし、とても真面目で温厚な人柄ですので、意外でした」
「褒めすぎですよ。私はそんなに美人ではありませんし、人気者というわけでもありません。私は何度か告白されたことはあるんですが、好きでもない人と付き合うことが嫌だったので、今まで誰とも付き合ったことがないんです」
「素直で真っ直ぐな性格の菓絵さんらしいと思います。お互いに、異性と付き合うのは初めてなんですね。こんな僕でよかったら、改めてよろしくお願いします」
「はい。私こそ、改めてよろしくお願いします」
「提案があるんですが、お互いの距離を縮めていくために、この瞬間から、敬語は使わないようにしませんか?」
「いいですよ。あ、さっそく敬語を使ってますね」
「あはは。今から敬語を使ったら、罰ゲームですよ」
「罰ゲームですよって、敬語ですよ」
「僕が言い出したのに、どうもすみません」
優太さんも私も、今までずっと敬語で話していたので、切り替えが上手くできず、なんだかぎこちない会話になってしまった。
「敬語は使わない。敬語は使わない。絶対に使わない」
私の隣に座ったまま、ぶつぶつと独り言を唱え始めた優太さん。
「ふふふふふ」
その様子が可笑しくて、私は思わず声を出して笑ってしまった。
「そのうち普通に話せるようになると思いますので、そんなに考え込まないでください」
「そうですね。肩の力を抜いて、もっと気楽にいこうと思います」
優太さんと私の会話は、まだまだぎこちない。でも、なんだかすごく楽しい。
「あ、いつの間にか、八時を過ぎていますね。そろそろ帰りましょか」
「はい。お腹も減ってきましたからね」
優太さんと私は立ち上がり、リュックサックを背負って帰り支度を済ませ、空の下の笑顔の樹に挨拶をして、秘密の丘を後にした。
駅に向かって歩いている途中で、優太さんと出会ってからの日々を振り返ってみることにした。
優太さんの呼び方は、最初の頃はお客さん。その次が山下さん。優太さんと呼ぶようになったのは、三ヶ月くらい前からのことだ。優太さんと出会った頃は、まさかこんなに親しくなるとは思ってもいなかったし、付き合うようになるとは想像すらしていなかった。でも、今はこうして同じ時間に同じ道を一緒に歩いている。私は優太さんの彼女になったのだから、さん付けしないで、優太と呼ぶようにしなければならない。でも、私にはまだその勇気がない。
結局、優太と呼ぶことができないまま時間だけが過ぎていき、いつの間にか、地元の駅に着いてしまった。たったひと言、優太と言えばいいだけなのに……。すごく簡単なことなのに……。勇気を出せない自分が情けない。
「菓絵さん、さっきからずっと黙ったままですが、大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です。ちょっと考え事をしていただけですので」
急に無口になった私に気を遣ってくれている優太さんのために、気持ちを切り替えて、明るく振舞うようにしなければならない。
「今夜もラーメン屋さんに寄っていきませんか?」
「はい。生ビールで乾杯しましょう」
笑顔で返事をしてくれた優太さんと駅前の商店街にあるラーメン屋さんに入り、先週の土曜日と同じ席に座った。
「菓絵ちゃん、山下くん、いらっしゃい。今日もハイキングに行ってきたんですか?」
ラーメン屋さんのおじさんの質問に対して、私はどう答えようか迷ってしまった。ハイキングに行ってきたと言うべきなのか。恥ずかしがらず、デートに行ってきたと言うべきなのか。どうする私……。
「今日は、デートに行ってきたんです」
私が迷っているうちに、優太さんが明るい声で答えてくれた。私はなんだかすごく嬉しくなって、「デートに行ってきたんです!」と大きな声で言ってみた。
「若いって、いいですねえ。お二人の付き合い始めた記念として、今夜は生ビールをおごりますよ」
ラーメン屋さんのおじさんが、私と優太さんの前に生ビールを置いてくれて、笑顔で祝福してくれた。ちょっと恥ずかしかったけど、ものすごく嬉しい。
「どうもありがとうございます。遠慮なくご馳走になりますね」
私も優太さんも笑顔でお礼を言って、料理を注文し、ふわふわの真っ白い泡が山盛りになっている生ビールのジョッキをかちんと合わせて、優太さんと乾杯してみた。
「ものすごく美味しいですね」
気分が高揚すれば、優太と呼ぶことが出来るかもしれないと考えた私は、ジョッキを両手で持って、生ビールを一気に飲み干した。
「そんなに早いペースで飲んでも大丈夫ですか?」
優太さんが心配するのも無理はないと思う。それでも私は飲みたい。
「大丈夫です。もう一杯、お代わりしますね」
すぐに生ビールを注文して、立て続けに一気に飲み干してみたものの、恥ずかしい気持ちを打ち消すことはできず、普通に食事をしてしまった。
結局、ラーメン屋さんの中でも、優太と呼ぶことはできず、今夜も優太さんが食事代を払ってくれて、私を家まで送り届けてくれた。
「今日も夜遅くまで付き合ってくれて、どうもありがとうございました」
「私こそ、本当にありがとうございました」
「今日撮った写真は、来週の金曜日のお絵描き教室のときに持ってきますね」
「はい。楽しみにしています」
「それでは、僕も家に帰ります」
このままでは、優太さんが帰ってしまう。どうしても、今日中に優太と呼んでみたい。
何とかして、優太さんを引き止めなければ……。
「自宅の電話番号を交換しませんか?」
「交換しましょう!」
嬉しそうな声で返事をしてくれた優太さんは、紙飛行機の翼の部分に自宅の電話番号を書いてくれて、笑顔で私に手渡してくれた。
「どうもありがとうございます」
私も紙飛行機の翼の部分に自宅の電話番号を書いて、落ち着かない様子の優太さんに手渡してみた。
「遂に菓絵さんの電話番号をゲットしました! ものすごく嬉しいです!」
「あはは。私は優太さんの電話番号をゲットしました!」
自宅の電話番号を交換しただけで、ものすごい喜びようの優太さんと私。まるで思春期真っ只中の中学生のよう。
「家に着いたら、電話してもいいですか?」
「はい。楽しみに待ってますね」
「早く菓絵さんと電話で話してみたいので、ダッシュで家に帰ります」
早口で言った優太さんは、「うおおおおおおおお!」と叫びながら、もの凄い勢いで走っていった。優太さんの後ろ姿がどんどん小さくなっていく。私は面と向かっては恥ずかしくて呼べなかったけど、後ろからなら呼べると思い、今が絶好のチャンスだ。ここで勇気を出さないでどうするんだ。と心の中でつぶやき、「優太! おやすみ!」と声を張り上げて叫んでみた。
「暗くなってきましたので、優太さんの絵は、家に帰ってから仕上げますね」
「はい。楽しみにしています。風が冷たくなってきましたが、星空を眺めてから帰りましょうか」
「はい。今夜はどんな星が見られるのか楽しみです」
ずっと笑顔のままの優太さんと空の下の笑顔の樹の下に座って、五円チョコとうまい棒を食べているうちに、群青色の空に星が輝き始めた。優しい光を放っているまんまるのお月さんも、笑顔で微笑んでいるかのように見える。今の私には、どんなものでも笑顔に見えるのかもしれない。
「こうして、まんまるのお月さんを見つめていると、夜空に吸い込まれそうな感覚になります」
「月はとても神秘的ですからね。あ、あの、と、突然ですが、菓絵さんに大切なお話があるんです」
震えた声で言った優太さんは、がばっと勢いよく立ち上がり、空の下の笑顔の樹の下で体育座りをしたままの私の真正面に立った。ついさっきまでの笑顔は消えていて、とても真剣な表情で私のことを見つめている。バクバクバクバクバクバクバクバク。この音は、私の心臓の鼓動の音なのだろうか。緊張しすぎて、何の音なのかわからない。
「今から言うことは、とても恥ずかしいことなんですが、勇気を出して言います」
「は、はい……」
バクバクバクバクバクバクバクバク。この音は、私の心臓の鼓動の音だ。
「僕は! ずっと前から菓絵さんのことが好きだったんです! もしよかったら! 僕と付き合ってください! よろしくお願いします!」
バクバクバクバクバクバクバクバクバクバクバク。私の心臓は今にも破裂しそう。
「やっぱり、ダメですかね」
勇気を出して、私に告白してくれた優太さんが、心配そうな表情で私のことを見つめている。早く返事をしなければならない。でも、言葉が上手く出てこない。
ふう。ふう。ふう。ふう。私は気持ちを落ち着かせるため、何度も深呼吸をして、自分の気持ちを確かめてみることにした。私は優太さんのことが好きなのだろうか。好きでなければ、優太さんと一緒に出かけたりすることもない。私の駄菓子屋にずっと通い続けてくれている優太さんは、ただの常連客ではなくて、私の大切な人。
「返事が遅くなってしまって、どうもすみませんでした。私のことを好きだって言ってくれて、ものすごく嬉しかったです。私こそ、よろしくお願いします」
私は体育座りをしたまま、優太さんに自分の気持ちを伝えてみた。恥ずかしいなんてものじゃない。穴があったら入りたい。私は目を開けていられなくなって、麦わら帽子で顔を隠してしまった。
「やった! ものすごく嬉しいです! どうもありがとうございます!」
優太さんの声が聞こえた瞬間に、麦わら帽子をどかして目を開けてみたら、空の下の笑顔の樹の周りをぐるぐると走り回っている優太さんの姿が見えた。私はものすごく嬉しくなって、優太さんの後に続いて、空の下の笑顔の樹の周りを走り回ってみた。なんだかとっても楽しい。このまま朝まで走り回っていたい気分。
良かったね。おめでとう。
またどこからか、とっても優しい感じの声が聞こえてきたような気がした。小さな声だったので、何を言っていたのかは聞き取れなかった。空の下の笑顔の樹の周りには、私と優太さんしかいない。今の声は誰の声だったのだろう。私の前を走っている優太さんの呟き声だったのだろうか。私の空耳だったのだろうか。気になって仕方がなかったけれど、明るい雰囲気を壊さないため、優太さんの後に続いて、空の下の笑顔の樹の周りを走り回り続けた。
「ちょっと目が回ってきました」
「私も目が回ってきました」
優太さんも私も走り回るのをやめて、空の下の笑顔の樹の下に座り、カラカラに乾いた喉をコーヒー牛乳で潤した。拭いても拭いても汗が止まらない。こんなに汗だくになるまで走り回るなんて……。でも、なんだかとっても清々しい。
「あの、別に言わなくてもいいことなんですが、菓絵さんに話しておきたいことがあるんです」
「はい。どんなことでしょうか」
「僕は、告白をしたのも、女性と付き合うのも、初めてなんです」
「そうだったんですか。優太さんは、とても優しい人柄ですので、もてるんじゃないかと思っていました」
「いえいえ、僕なんか、ぜんぜんもてませんよ。自分で言うのもなんですが、僕は昔から女性と接することが苦手なんです。でも、菓絵さんだけは平気なんです」
「そう言ってもらえて、すごく嬉しいです。実は、私も男性とお付き合いをするのは初めてなんです」
「そうだったんですか。菓絵さんは美人で人気者ですし、とても真面目で温厚な人柄ですので、意外でした」
「褒めすぎですよ。私はそんなに美人ではありませんし、人気者というわけでもありません。私は何度か告白されたことはあるんですが、好きでもない人と付き合うことが嫌だったので、今まで誰とも付き合ったことがないんです」
「素直で真っ直ぐな性格の菓絵さんらしいと思います。お互いに、異性と付き合うのは初めてなんですね。こんな僕でよかったら、改めてよろしくお願いします」
「はい。私こそ、改めてよろしくお願いします」
「提案があるんですが、お互いの距離を縮めていくために、この瞬間から、敬語は使わないようにしませんか?」
「いいですよ。あ、さっそく敬語を使ってますね」
「あはは。今から敬語を使ったら、罰ゲームですよ」
「罰ゲームですよって、敬語ですよ」
「僕が言い出したのに、どうもすみません」
優太さんも私も、今までずっと敬語で話していたので、切り替えが上手くできず、なんだかぎこちない会話になってしまった。
「敬語は使わない。敬語は使わない。絶対に使わない」
私の隣に座ったまま、ぶつぶつと独り言を唱え始めた優太さん。
「ふふふふふ」
その様子が可笑しくて、私は思わず声を出して笑ってしまった。
「そのうち普通に話せるようになると思いますので、そんなに考え込まないでください」
「そうですね。肩の力を抜いて、もっと気楽にいこうと思います」
優太さんと私の会話は、まだまだぎこちない。でも、なんだかすごく楽しい。
「あ、いつの間にか、八時を過ぎていますね。そろそろ帰りましょか」
「はい。お腹も減ってきましたからね」
優太さんと私は立ち上がり、リュックサックを背負って帰り支度を済ませ、空の下の笑顔の樹に挨拶をして、秘密の丘を後にした。
駅に向かって歩いている途中で、優太さんと出会ってからの日々を振り返ってみることにした。
優太さんの呼び方は、最初の頃はお客さん。その次が山下さん。優太さんと呼ぶようになったのは、三ヶ月くらい前からのことだ。優太さんと出会った頃は、まさかこんなに親しくなるとは思ってもいなかったし、付き合うようになるとは想像すらしていなかった。でも、今はこうして同じ時間に同じ道を一緒に歩いている。私は優太さんの彼女になったのだから、さん付けしないで、優太と呼ぶようにしなければならない。でも、私にはまだその勇気がない。
結局、優太と呼ぶことができないまま時間だけが過ぎていき、いつの間にか、地元の駅に着いてしまった。たったひと言、優太と言えばいいだけなのに……。すごく簡単なことなのに……。勇気を出せない自分が情けない。
「菓絵さん、さっきからずっと黙ったままですが、大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です。ちょっと考え事をしていただけですので」
急に無口になった私に気を遣ってくれている優太さんのために、気持ちを切り替えて、明るく振舞うようにしなければならない。
「今夜もラーメン屋さんに寄っていきませんか?」
「はい。生ビールで乾杯しましょう」
笑顔で返事をしてくれた優太さんと駅前の商店街にあるラーメン屋さんに入り、先週の土曜日と同じ席に座った。
「菓絵ちゃん、山下くん、いらっしゃい。今日もハイキングに行ってきたんですか?」
ラーメン屋さんのおじさんの質問に対して、私はどう答えようか迷ってしまった。ハイキングに行ってきたと言うべきなのか。恥ずかしがらず、デートに行ってきたと言うべきなのか。どうする私……。
「今日は、デートに行ってきたんです」
私が迷っているうちに、優太さんが明るい声で答えてくれた。私はなんだかすごく嬉しくなって、「デートに行ってきたんです!」と大きな声で言ってみた。
「若いって、いいですねえ。お二人の付き合い始めた記念として、今夜は生ビールをおごりますよ」
ラーメン屋さんのおじさんが、私と優太さんの前に生ビールを置いてくれて、笑顔で祝福してくれた。ちょっと恥ずかしかったけど、ものすごく嬉しい。
「どうもありがとうございます。遠慮なくご馳走になりますね」
私も優太さんも笑顔でお礼を言って、料理を注文し、ふわふわの真っ白い泡が山盛りになっている生ビールのジョッキをかちんと合わせて、優太さんと乾杯してみた。
「ものすごく美味しいですね」
気分が高揚すれば、優太と呼ぶことが出来るかもしれないと考えた私は、ジョッキを両手で持って、生ビールを一気に飲み干した。
「そんなに早いペースで飲んでも大丈夫ですか?」
優太さんが心配するのも無理はないと思う。それでも私は飲みたい。
「大丈夫です。もう一杯、お代わりしますね」
すぐに生ビールを注文して、立て続けに一気に飲み干してみたものの、恥ずかしい気持ちを打ち消すことはできず、普通に食事をしてしまった。
結局、ラーメン屋さんの中でも、優太と呼ぶことはできず、今夜も優太さんが食事代を払ってくれて、私を家まで送り届けてくれた。
「今日も夜遅くまで付き合ってくれて、どうもありがとうございました」
「私こそ、本当にありがとうございました」
「今日撮った写真は、来週の金曜日のお絵描き教室のときに持ってきますね」
「はい。楽しみにしています」
「それでは、僕も家に帰ります」
このままでは、優太さんが帰ってしまう。どうしても、今日中に優太と呼んでみたい。
何とかして、優太さんを引き止めなければ……。
「自宅の電話番号を交換しませんか?」
「交換しましょう!」
嬉しそうな声で返事をしてくれた優太さんは、紙飛行機の翼の部分に自宅の電話番号を書いてくれて、笑顔で私に手渡してくれた。
「どうもありがとうございます」
私も紙飛行機の翼の部分に自宅の電話番号を書いて、落ち着かない様子の優太さんに手渡してみた。
「遂に菓絵さんの電話番号をゲットしました! ものすごく嬉しいです!」
「あはは。私は優太さんの電話番号をゲットしました!」
自宅の電話番号を交換しただけで、ものすごい喜びようの優太さんと私。まるで思春期真っ只中の中学生のよう。
「家に着いたら、電話してもいいですか?」
「はい。楽しみに待ってますね」
「早く菓絵さんと電話で話してみたいので、ダッシュで家に帰ります」
早口で言った優太さんは、「うおおおおおおおお!」と叫びながら、もの凄い勢いで走っていった。優太さんの後ろ姿がどんどん小さくなっていく。私は面と向かっては恥ずかしくて呼べなかったけど、後ろからなら呼べると思い、今が絶好のチャンスだ。ここで勇気を出さないでどうするんだ。と心の中でつぶやき、「優太! おやすみ!」と声を張り上げて叫んでみた。