彼が残してくれた宝物

いつもの店内はマスターが集めた、ボブ・ジェームズのレコードが流れている。
しかし、今日はいつもと違って、ピアノの生演奏だった。珍しいなと思い、ピアノの置かれた方を見ると、見知らぬ男性が弾いていた。

曲はよく聞く曲だが、ジャズに詳しくない私は曲名など分らない。ただ私の知ってるこの曲はこんなに寂しそうな音色では無い。

曲が終ると、ピアノを弾いていた彼はカウンターまで来て、マスターにバーボンのストレートを頼んだ。
高長身に綺麗に整った顔、女性なら誰もが見惚れてしまうだろう。

「あれ? 桜ちゃん初めてだっけ?」

マスターから投げ掛けられた言葉に、私は彼に視線を向けたまま、ただ頷いた。

「彼は…」

マスターが彼を紹介しようとしたが、彼はそれを制するように左手を挙げた。そして、

「俺は樋口徹。 君の隣良いかな?」と、自ら名乗り、微笑んだ。

そして、「どうぞ?」と、言う私に、彼は「君は?」と、聞いた。

私は、自分の名前が嫌いではないが、名乗るのには少し躊躇する。

「…私は…桜。…秋、桜です」

すると、彼は「あき…さくらって、季節の秋と花の桜?」と聞き、私が頷くと、「コスモス…か?」と笑った。

こうなるから、私は名乗るのが嫌なのだ。

「人の名前を聞いて笑うのって、失礼だと思いませんか!?」

少しきつい口調で言うと、彼はゴメンゴメンと謝りながらも、まだ笑っている。

ホント失礼な奴!!

私は、一気にバーボンを喉に流し込んだ為、咽てしまった。

(コッホンコッホン)

「馬鹿! そんな飲み方するな!」と彼は急ぎ私にチェイサーを差し出す。

どんな飲みたかしようが、私の勝手じゃない!




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