彼が残してくれた宝物

「大丈夫でしょうか?」

桜井さんは、会社に戻る前に、私を送ってくれると言って、私達は病人の樋口さんを、ひとり置いて玄関を出ようとしていた。

「ええ、今は眠ってますし、私も仕事を終わらせたら、様子を見に来ます。 明後日からは、私は海外なので、家政婦を頼む事にします。樋口は嫌がるでしょうけど、仕方ありません。」

家政婦か…
樋口さん、目を覚まして、知らない人が居たら、どう思うかな…

「あの… やっぱり、私残ります!」

「え? でも、あなたにもご都合や、お仕事があるのでは?」

今は、派遣会社に登録して、短期契約で仕事をしている。どんなに永くても、半年契約の物でしか働かない。勿論、再契約もしない。

永く勤めれば、周りの人間と親しくなる。仲良くするのは良いが、必要以上に親しくなるのは気が進まない。別に人間関係が苦手な訳ではない。

以前の会社では周りの人間とも上手くやっていたし、プライベートで一緒に旅行に行く程、親しくなった女友達もいた。

でも、今は必要以上に親しくなるのは、避けている。親しくなれば、ランチや飲み会にも誘われる。女が集まれば、必ずと言っていいほど、男の話になる。彼氏や夫の話。私に聞かれても話すような人は居ないし、伊藤課長の事を思い出し辛くなる。

だから、必要以上に親しくならない様、出来るだけ距離を置いている。その為、仕事も短期の契約にしている。短期だと周りも直ぐに居なくなるからと、仕事以外にあまり絡んで来ようとしない。

私は仕事の飲み込みも早いらしく、イレギュラーにも対応出来ると、先方からも重宝される。
そして契約が切れる頃には、社員として働かないかと話もくれるが、受けることは無い。先方が人手がなく、どんなに困っていても、契約延長は絶対にしない。

樋口さんと会ったあの日も、契約が終わった日だった。
私はいつも、契約最終日には、【SOUND】へ行き、彼の想い出と共に、彼の好きだったバーボンを一人で飲んでいる。

あの日も、いつもの様に契約延長はせず、契約先の会社を定時で上り、その足で【SOUND】へ行き、樋口さんに会ったのだ。

「大丈夫です。私で宜しければ、樋口さんの体調が良くなるまで、お世話させて下さい。」

元はと言えば、私の所為なのだから、私が看病するのは当たり前だ。

「では、よろしくお願いします。」

何かあったら連絡を下さい。と言って桜井さんは帰って行かれた。




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