あなたの愛とパンチュールに囲まれて

奏士くんとの約束の5日日曜日。
私は待ち合わせの駅前広場へ向かった。
この道はいつもなら通勤ルート。
そして、一昨日は紺野さんとたくさん話ながら歩いた小さな幸せの道。
でも休日になると、駅を出て見える街並みや、
この道でさえも全く違う様相を見せてる。
端で見てても、初々しい感じのしゃぎ合うカップル。
携帯を持った手を高く上げて、
自分撮り機能で写メを撮ってる学生さん達。
行き交う人達に明るく声をかけながらティッシュを配ってるお姉さん。
何だか、奏士くんが言ってた様々な人生の色が、
ここにあるのが見える気がする。


そんなことを感じながら、私は待ち合わせ場所に着いた。
奏士くんはもうそこにいて、ガードレールに腰掛けてた。
濃紺のダメージジーンズに白いタンクトップ。
黒の半袖の綿シャツを羽織って、
いつも道端で絵を描いてる時とは違う、
男らしい奏士くんがそこに居て、
ちょっとドキッとさせられる。




奏士「蒼お姉さん、おはよう」
蒼 「お、おはよう。待たせてごめんなさい」
奏士「そんなに待ってないよ。
  お姉さん、今日……凄くファッショナブルじゃない?
  通勤の時と違う。
  さっき駅に居た女の子達と変わらない感じだな」
蒼 「あのね。
  それじゃ、いつも私がみすぼらしいみたいじゃない。
  褒めてるんだか貶されてるだか、奏士くんの言い方むかつく」
奏士「褒めてるに決まってるでしょ。
  怒らない、怒らない。チケット持ってきた?」
蒼 「うん、持ってきたよ」
奏士「じゃあ、行こう」


奏士くんは私の手を引いてスタスタ無言で美術館に向かう。
しかしこれがいつものペースなのか、彼の足が長いからか、
とても早足で歩くからついていくのがやっとだ。


蒼 「あ、あのね、奏士くん。
  もう少しゆっくり歩いてくれるかな」
奏士「あっ、ごめん。気持ちはもう美術館だから」
蒼 「どうしてそんなに絵を好きなの?」
奏士「父さんの影響かな。
  若い時に海外に住んでたらしくって、
  母さんとのデートはよく美術館や博物館に行ってたらしいんだ。
  中学生の頃に、家族旅行でイタリアのフィレンツェに行った時、
  ウフィツィ美術館に連れて行って貰ったんだ。
  コの字形の美術館で建物にも興味津々だったけど、
  廊下にはズラッと古代彫刻や肖像画が並んでて、
  天井にフレスコ画の華麗な絵が描かれてたよ」
蒼 「ふーん。(フレスコ画って何?)」
奏士「僕はただ黙って並ぶ絵画を観てたけど、
  ティツィアーノの『フローラ』っていう絵の前にきて、
  完全に心奪われてね。
  彼女の纏ってる白いドレスや、
  カールした髪が写真の様にリアルで、
  まるで僕の前に彼女が居るみたい浮かんで見えて、
  僕は無意識に手を伸ばしてた。
  その絵は画家が自分の婚約者をモデルに書いたとされてる絵で、
  本当に彼女は幸せそうな顔をしてた。
  僕もこんな絵を描けたら幸せだろうなって思ったんだ。
  それから美術部に入部して、
  高校もデザイン科目指して大学入ったんだよ」
蒼 「そっかぁ。中学生からの夢を追い求めてるなんて凄いな。
  私には何もないから……」
奏士「それは何歳になっても、今からでもきっと見つかるよ。
  もしかしたら、今日美術館で見つかるかもしれないし、
  僕との会話や蒼さんの日常でも見つかるかもしれない」
蒼 「そうねぇ」
奏士「実は今日の絵画展に『フローラ』が来てるんだ。
  僕の初恋の人」
蒼 「え?二次元の絵が初恋だったの?」
奏士「そうだよ。凄い美人。嫉妬しないでね」
蒼 「よく理解できないな。奏士のそういう感覚」


いろんな話をしながら、私達は都立中央美術館に着いた。
受付をして中に入った途端、
私は絵画の豪華さ、神々しさにど肝を抜かれた。
『キリストの埋葬』『最後の審判』『ハトと聖霊』など、
数々の絵が私の目の前に飛び込んでくる。


(美術館館内)


奏士「蒼さん、この絵のハトはなぜ聖霊になったと思う?」
蒼 「んー、昔から幸せの象徴だから?」
奏士「それも間違いじゃないけど、ハトは繁殖力も強い。
   他の動物に比べて帰巣能力もいいから、
   古代や中世では遠距離の伝達の手段に実用価値が高かったんだ。
   旧約聖書の中でも回復の象徴とされてて、
   神と人を繋ぐメッセンジャーとして考えられたんだよ」
蒼 「ふぅん。奏士くんって凄い。
   絵画一つ一つ理解してるのが凄いな。本当に好きなんだね」
奏士「あははっ。
   一応、美術研究学科で学んでるんだから、そのくらいはね」

ずっと絵画を見ていくうちに、私達は奏士くんの初恋、
『フローラ』の絵の前にきた。
彼女は、ドキッとするほど優しい眼差しと、
もちもちすべすべとした肌の綺麗な女性で、
本当に観てる私まで嬉しくなってくるほど、幸せがにじみ出てる表情。
何となくだけど、奏士くんが恋心を抱くのも分かる気がする。


奏士「美人でしょ。妬いてる?」
蒼 「妬いてないわよ。でも綺麗な女性ね。
   少しだけ好きになるのも分かるかな」
奏士「でしょ」
蒼 「(奏士くん…何て優しい顔して彼女を見つめるの。
  やだ、本当に灼けてくる…私…おかしくなったのかな」


私は『フローラ』の絵と奏士くんを見て動揺して、
何故だか後ずさりし背を向ける。
そして前に“ラオコーン”のブロンズ像の前で、
平常心を保とうと雑念を払おうとしていた時。


蒼 「(もう!私ってばかじゃないの!?
  何でただの絵に嫉妬するの!?
  それに、奏士くんは彼氏じゃないから嫉妬なんか。
  落ち着くのよ、私。
  彼はただの友達なんだから……」
奏士「へぇーっ。蒼さんってそっち好み?
  全裸のマッチョが好きなんだ」
蒼 「へ?全裸?マッチョ?」
奏士「まぁ、確かに同性の僕から見ても立派な逸物だと思うけど、
  そんなにうっとり見つめなくてもね」
蒼 「逸、物…。☆♂♀×△〇※」
奏士「ぷっ!あはははっ。
  蒼さん、顔真っ赤。お姉さん可愛いね(笑)」
蒼 「変なこと言わないでよ。
  マッチョなんか好きじゃない!次にいくよ」
奏士「はいはい」


次の絵画は『モナ・リザ』で、
映画やTVでも何度も観た絵なのに新鮮な感覚。
それは鑑賞する絵画だけでなく
私自身が完全に一色奏士ワールドに飲み込まれていた。


蒼 「『モナ・リザ』って、
   『フローラ』のような幸せな笑みじゃないよね。
   何だか悲しそうな不安そうな感じ」
奏士「うん、そうなんだよね。
   『モナ・リザ』の微笑みの中にはね、83%の幸せと9%の嫌悪、
   6%の恐怖と2%の怒りが含まれてるんだ。
   背景もダ・ヴィンチの四つの架空の世界を描かれていて、
   彼の理想とする女性の美を表現しているらしい」
蒼 「そうなの…嫌悪と恐怖と怒り…。
   こうやって観ていくと絵画って奥深いわね」
奏士「うん。僕が蒼さんに初めて会った時、
   『モナ・リザ』と同じで、
   笑顔の中に怒りや絶望が入り交じって見えたんだ。
   だから僕は、蒼さんを『モナ・リザ』の微笑みから、
   『フローラ』の微笑みに変えたいなって素直に思ったんだよ。
   何だか悲しそうで辛そうで、
   話してる時は僕に怒ったりして本心隠してたけど、本当はあの時、
   “自分を見て欲しい”“分かって欲しい”って思ってたんだろ?」
蒼 「奏士くん……
  (やだ…涙が出てくる。
  どうしてそんなに私の心見抜いちゃうの……)」
奏士「今日どうしても、蒼さんにこの二枚の絵画を見せたかったんだ。
   蒼さんの一瞬の微笑みにも、鮮やかで素敵な色を出してあげたいって、
   僕は素直に思ってること分かって欲しかったからさ」

奏士くんは『フローラ』を見つめてた時の様に、
優しい笑顔で私を見つめる。
奏士くんの穏やかな眼差しに、
秋の紅葉のように少しずつ赤く色づき始めてる私のハートは、
ドキドキを繰り返しながらも「何だか居心地いい」と囁いていた。


(続く)

この物語はフィクションです。
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