榛色の瞳を追って
お給料と弟妹たち
5月に入ってまもなくのある夕暮れ時。 私は初めて、働いてお金を稼ぐことができました。 大家族で家計の苦しい家が裕福になることはできないけれど、お小遣いではなく自分で働いて手にいれたのが嬉しいのです。
そんな環境なのに、うちの両親は兄弟姉妹のほとんどを中学校や女学校に入れているので、感謝しなければなりません。 お給料は月に10円。 こんな大金、持つ機会なんてありません。
「陳さんって、本当にお金持ちなんだ…」
妙な所に感心しながら、私は自宅までうきうきと歩いていました。
※作者注;昭和8年(1933年)のデータは見つからなかったので昭和7年(1932年)の物ですが、当時の1円が現在の2000~3000円の価値だそうです。
ちさの10円の給料は2~3万円くらいでしょうか……。 一部の高給取りだった銀行員の月給が70円だったようなので、そこそこ収入があるようです。
勿論フィクションなので、実際に通いで食事を作っていて給料が支払われたかどうかは分かりません。
そんな環境なのに、うちの両親は兄弟姉妹のほとんどを中学校や女学校に入れているので、感謝しなければなりません。 お給料は月に10円。 こんな大金、持つ機会なんてありません。
「陳さんって、本当にお金持ちなんだ…」
妙な所に感心しながら、私は自宅までうきうきと歩いていました。
※作者注;昭和8年(1933年)のデータは見つからなかったので昭和7年(1932年)の物ですが、当時の1円が現在の2000~3000円の価値だそうです。
ちさの10円の給料は2~3万円くらいでしょうか……。 一部の高給取りだった銀行員の月給が70円だったようなので、そこそこ収入があるようです。
勿論フィクションなので、実際に通いで食事を作っていて給料が支払われたかどうかは分かりません。