白くなったキャンバスに再び思い出が描かれるように
話すことの出来ない彼女***
地味で大人しく、誰の中にも入ること無く窓際の席でいつも一人、窓から外を眺める子がいた。
彼女は冨喜摩 美野里(ときま みのり)
クラスの女子から話しかけられても、彼女はただ頷くだけ。彼女の返事は頷くこと。
そう、彼女は話すことが出来ない。
どうしても、相手に伝えなければいけない事は、彼女がいつも持ち歩くノートに書いて相手に伝える。
それは、伝えられる方にも、伝える方にとっても労力のいる事だった。
だから周りの子は、だれも話しかけようとはしなかった。
「大変だから」
そして彼女もそれを痛いほど感じていた。
今日の授業終了のチャイムが鳴る。
「起立、礼」
にわかに教室が束縛されていた空気から解き放たれる。
部活に勤しむ者、帰宅部として学校からいち早く出て行こうとする者。それぞれ赴く方向へ動いていく。
ふと窓際の席を見ると、一つの席が既に空になっていた。いつもそうだ、チャイムが鳴ると同時にそこの席の主は、目を盗むように居なくなる。誰もそれを不思議と思わない。
彼女だから……
でも僕は、彼女の行先を知っている。
それは……
僕は小説を書いている。僕が小説を書き始めておよそ1年になる。
書く小説は、始めはフェンタジー系と言われるジャンルを書いていたが、続かなかった。
異世界だの、人が他の生物に変異したりするのに、僕の思考はことごとく追いついていなかった。
そもそも、異世界の世界となるステージは霊界であったり、人が変異すればそれは化け物で、ステージに合わせると幽霊になってしまう。挙句の果てはファンタジー小説を書いたつもりが、ホラー小説に早変わりしている有様だった。
そんな短編、中編小説が数点。自分でもあまり読み返す気にもなれなかった。
それもそのはず、今まで僕が読んでいた小説やアニメなんかは異世界が舞台となるストーリーばかりだったからだ。
それでも、ネタ探しはいつもしていた。
無論、図書館の常連であることは言うまでもない。そこに彼女は、いつもいた。
学校が終わり、いつも電車を途中下車して行く、学校から少し離れた図書館。
僕のいる市は大きく東と西に区別されている。いつも利用するのは西区図書館。
帰る途中の駅にあるのと、東区図書館より本が充実しているからだ。
小説を書き始めた頃から通い始めた図書館。実はその時から美野里が図書館にいつもいるのを知っていた。
僕が美野里に話しかけたのは、それから一年と少しを過ぎた頃だった。
いつもの様に図書館の自動ドアをくぐり、すぐに本棚に目をやり本を検索する。
適当に見繕って机に座ると、低い本棚の向こうに美野里の姿が目に入った。いつもなら、何も気にせず本に視線を注ぐのだが、今日の美野里はちょっといつもと違っていた。
違っていたと言っても、外見はいつもの地味な感じの美野里、でも何か雰囲気が違っていた。特に彼女の手元。
しかし、間を挟むようにしてある低い本棚が邪魔で、肝心の彼女の手元が見えない。
何か気になる。
そうしているうちに彼女はすっと立ち上がり席を立った。机の上をそのままにして。
どうしても、気になった。良くないことは知っている。でも自然と彼女のいなくなった机に足が動いていた。
そこには一冊の本と、ピンク色の小型のノートパソコン(いわゆるモバイルノートパソコンと言われるやつだ)が置かれてあった。
そして、縦書きで文章が綴ってあった。
ここまでする事自体良くないことは解っている。
そしてその綴られた文章を読む事は、もっと悪いことだと言う事も……
その画面の文字を読んだ。その文章を読んだ。読むごとに惹き込まれていく。スクロールして続きを読む。止まらない。どうしても続きが読みたくなる。
ゴン。思いっきり背中を叩かれた。
振り返ると、そこには物凄い凝そうの目をした美野里が立っていた。肩を震わせながら拳を握りしめていた。
「ご、ごめん。勝手に見て」
「あ、があうくあが……」
声にならない、言葉にならないされど、怒りの声が僕を貫く。
彼女は僕を押しのけ席に座る。そしてものすごい速さでタイプする。
「もう、どこかに消えて」
今まで訊いた事のない彼女の声。普通に彼女が放つ声に訊こえた。
自分の部屋のベッドで、焦点が合わないまま、ボーと天井を見ていた。
「あれは小説だ。どう考えても小説だ。でも凄かった。惹き込まれた。ものすごく、物凄く」
美野里のモバイルパソコンにあった小説。黙って読んだことは、決してやってはいけない事だった。でも、それよりも彼女美野里が描いた世界に僕は惹き込まれていった。
彼女も小説を書いていたんだ。そんな親しい気持ちなんか一瞬で吹っ飛んでしまった。
だれとも馴染まず、誰とも関わらないように生きている美野里。彼女は話す事が出来ない、だからそうしている。
いや、違う。美野里は関わっていた。クラスのみんなと、それよりも多くの人達と、話していたんだ。
そうでなければ描(かけ)けない。
彼女の心のなかで……彼女の想いを
僕は彼女の心の中を覗いてしまった。
何も包んでいない、純真な彼女の心の中を
「あやまろう。どんなことをしても謝ろう」
もしかしたら、美野里は許してくれないかもしれない。多分、許さないだろう。同じ事をされれば僕も同じだから。
でも謝る。どんなに時間が掛かろうとも、僕の意地をかけて……
美野里は次の日学校を休んだ。次の日も、そしてその次の日も。図書館にも来ていなかった。
「はぁ、冨喜摩の住所だと」
「はい、どうしても知りたいんです」
「どうしてもと言われても個人情報だからな」
「そこを何とか、お願いします」
担任は腕を組み困り果てていた。
3日も学校を休んで、図書館にも来ていない。クラスの子達には親しい友達はいなかった。
美野里の事を訊こうにも、誰も美野里の事は知らない。後は最後の手段、担任に訊くしか方法が思いつかなかった。
「そこを何とかと言われてもなぁ。お前、冨喜摩にどんな用事があるんだ」
どんな用事。彼女の小説を盗み見したから謝りたい。
そんなことは口が裂けても言えない。
とっさに出た言い訳は
「冨喜摩に借りたものを返さなきゃいけないんです。早急に……」
「借りたものだと。お前、冨喜摩とそんなに中が良かったのか」
担任は、じろっと僕を仰ぎ見て
「駄目だ、駄目だ。問題が起きてからじゃ遅い。それに俺の責任問題になりかねん」
「そんなぁ」
僕の申し出は担任に蹴り飛ばされてしまった。
項垂れる僕に後ろから
「亜咲君、お話しは終わった?」
声を掛けて来たのは養護教諭の町田先生だった。
町田先生は、まだ二十代のこの学校では、一番若くて美人と男子の間でも人気の高い先生だった。
「ちょっと手伝ってほしいの。これを一緒に保健室まで持ってくれたら嬉しいなって」
手渡されたのは、いずれ生徒に配布されるであろうと思われる印刷物だった。
保健室に入ると、町田先生は扉を閉めベッドの方に目を向け生徒がいないか確かめてから
「ありがとう亜咲君。それそこに置いておいていいわ」
「あ、はい」
束になる印刷物を机に置き、そのまま保健室を出ようとすると、町田先生はふう、と吐息をついて
「ごめん、亜咲君。もう一つお願い訊いてもらえるかな」
「え、なんですか」
僕が答えると町田先生は白衣のポケットから可愛いデザインのレター封筒を指し出した。一瞬、ラブレターかと思いドキッとしたのは、御多訊に洩れず一塊の男子生徒であるからだ。
「実話ねこの手紙冨喜摩さんに届けてもらえればなぁって。彼女3日も学校休んでいるでしょ。ちょっと心配になってお手紙書いたの。帰りに寄って来ようと思ってたんだけど、ちょっと用事が出来ちゃってね。亜咲君が代わりに届けてくれたら助かるんだけどなぁ」
その封筒を受け取ると、裏に住所が書いてあった。
僕は、白衣が良く似合う町田先生を見て
「先生」とだけ一言言葉にした
「うふふ、これは私の友達に個人的に出す手紙。だから個人情報満載の手紙よ、亜咲君あなたを信頼して頼むんだから、責任もって届けてくださいね」
笑顔で僕は「はい」と答え、制服のブレザーにしっかりとしまい込んだ。
「先生ありがとうございます」と会釈をして保健室を出た。
「んんん、青春青春。若いっていいねぇ亜咲君頑張れぇ」そういって町田先生はにこやかに僕を保健室から見送ってくれた。
捨てる神あれば拾う神あり。それはまさにこの事だ。思いがけず町田先生から美野里の住所を知ることが出来た。
だが、問題はこれからだ。
どうやって美野里に許してもらおう。そのことで頭が一杯だった。
彼女は冨喜摩 美野里(ときま みのり)
クラスの女子から話しかけられても、彼女はただ頷くだけ。彼女の返事は頷くこと。
そう、彼女は話すことが出来ない。
どうしても、相手に伝えなければいけない事は、彼女がいつも持ち歩くノートに書いて相手に伝える。
それは、伝えられる方にも、伝える方にとっても労力のいる事だった。
だから周りの子は、だれも話しかけようとはしなかった。
「大変だから」
そして彼女もそれを痛いほど感じていた。
今日の授業終了のチャイムが鳴る。
「起立、礼」
にわかに教室が束縛されていた空気から解き放たれる。
部活に勤しむ者、帰宅部として学校からいち早く出て行こうとする者。それぞれ赴く方向へ動いていく。
ふと窓際の席を見ると、一つの席が既に空になっていた。いつもそうだ、チャイムが鳴ると同時にそこの席の主は、目を盗むように居なくなる。誰もそれを不思議と思わない。
彼女だから……
でも僕は、彼女の行先を知っている。
それは……
僕は小説を書いている。僕が小説を書き始めておよそ1年になる。
書く小説は、始めはフェンタジー系と言われるジャンルを書いていたが、続かなかった。
異世界だの、人が他の生物に変異したりするのに、僕の思考はことごとく追いついていなかった。
そもそも、異世界の世界となるステージは霊界であったり、人が変異すればそれは化け物で、ステージに合わせると幽霊になってしまう。挙句の果てはファンタジー小説を書いたつもりが、ホラー小説に早変わりしている有様だった。
そんな短編、中編小説が数点。自分でもあまり読み返す気にもなれなかった。
それもそのはず、今まで僕が読んでいた小説やアニメなんかは異世界が舞台となるストーリーばかりだったからだ。
それでも、ネタ探しはいつもしていた。
無論、図書館の常連であることは言うまでもない。そこに彼女は、いつもいた。
学校が終わり、いつも電車を途中下車して行く、学校から少し離れた図書館。
僕のいる市は大きく東と西に区別されている。いつも利用するのは西区図書館。
帰る途中の駅にあるのと、東区図書館より本が充実しているからだ。
小説を書き始めた頃から通い始めた図書館。実はその時から美野里が図書館にいつもいるのを知っていた。
僕が美野里に話しかけたのは、それから一年と少しを過ぎた頃だった。
いつもの様に図書館の自動ドアをくぐり、すぐに本棚に目をやり本を検索する。
適当に見繕って机に座ると、低い本棚の向こうに美野里の姿が目に入った。いつもなら、何も気にせず本に視線を注ぐのだが、今日の美野里はちょっといつもと違っていた。
違っていたと言っても、外見はいつもの地味な感じの美野里、でも何か雰囲気が違っていた。特に彼女の手元。
しかし、間を挟むようにしてある低い本棚が邪魔で、肝心の彼女の手元が見えない。
何か気になる。
そうしているうちに彼女はすっと立ち上がり席を立った。机の上をそのままにして。
どうしても、気になった。良くないことは知っている。でも自然と彼女のいなくなった机に足が動いていた。
そこには一冊の本と、ピンク色の小型のノートパソコン(いわゆるモバイルノートパソコンと言われるやつだ)が置かれてあった。
そして、縦書きで文章が綴ってあった。
ここまでする事自体良くないことは解っている。
そしてその綴られた文章を読む事は、もっと悪いことだと言う事も……
その画面の文字を読んだ。その文章を読んだ。読むごとに惹き込まれていく。スクロールして続きを読む。止まらない。どうしても続きが読みたくなる。
ゴン。思いっきり背中を叩かれた。
振り返ると、そこには物凄い凝そうの目をした美野里が立っていた。肩を震わせながら拳を握りしめていた。
「ご、ごめん。勝手に見て」
「あ、があうくあが……」
声にならない、言葉にならないされど、怒りの声が僕を貫く。
彼女は僕を押しのけ席に座る。そしてものすごい速さでタイプする。
「もう、どこかに消えて」
今まで訊いた事のない彼女の声。普通に彼女が放つ声に訊こえた。
自分の部屋のベッドで、焦点が合わないまま、ボーと天井を見ていた。
「あれは小説だ。どう考えても小説だ。でも凄かった。惹き込まれた。ものすごく、物凄く」
美野里のモバイルパソコンにあった小説。黙って読んだことは、決してやってはいけない事だった。でも、それよりも彼女美野里が描いた世界に僕は惹き込まれていった。
彼女も小説を書いていたんだ。そんな親しい気持ちなんか一瞬で吹っ飛んでしまった。
だれとも馴染まず、誰とも関わらないように生きている美野里。彼女は話す事が出来ない、だからそうしている。
いや、違う。美野里は関わっていた。クラスのみんなと、それよりも多くの人達と、話していたんだ。
そうでなければ描(かけ)けない。
彼女の心のなかで……彼女の想いを
僕は彼女の心の中を覗いてしまった。
何も包んでいない、純真な彼女の心の中を
「あやまろう。どんなことをしても謝ろう」
もしかしたら、美野里は許してくれないかもしれない。多分、許さないだろう。同じ事をされれば僕も同じだから。
でも謝る。どんなに時間が掛かろうとも、僕の意地をかけて……
美野里は次の日学校を休んだ。次の日も、そしてその次の日も。図書館にも来ていなかった。
「はぁ、冨喜摩の住所だと」
「はい、どうしても知りたいんです」
「どうしてもと言われても個人情報だからな」
「そこを何とか、お願いします」
担任は腕を組み困り果てていた。
3日も学校を休んで、図書館にも来ていない。クラスの子達には親しい友達はいなかった。
美野里の事を訊こうにも、誰も美野里の事は知らない。後は最後の手段、担任に訊くしか方法が思いつかなかった。
「そこを何とかと言われてもなぁ。お前、冨喜摩にどんな用事があるんだ」
どんな用事。彼女の小説を盗み見したから謝りたい。
そんなことは口が裂けても言えない。
とっさに出た言い訳は
「冨喜摩に借りたものを返さなきゃいけないんです。早急に……」
「借りたものだと。お前、冨喜摩とそんなに中が良かったのか」
担任は、じろっと僕を仰ぎ見て
「駄目だ、駄目だ。問題が起きてからじゃ遅い。それに俺の責任問題になりかねん」
「そんなぁ」
僕の申し出は担任に蹴り飛ばされてしまった。
項垂れる僕に後ろから
「亜咲君、お話しは終わった?」
声を掛けて来たのは養護教諭の町田先生だった。
町田先生は、まだ二十代のこの学校では、一番若くて美人と男子の間でも人気の高い先生だった。
「ちょっと手伝ってほしいの。これを一緒に保健室まで持ってくれたら嬉しいなって」
手渡されたのは、いずれ生徒に配布されるであろうと思われる印刷物だった。
保健室に入ると、町田先生は扉を閉めベッドの方に目を向け生徒がいないか確かめてから
「ありがとう亜咲君。それそこに置いておいていいわ」
「あ、はい」
束になる印刷物を机に置き、そのまま保健室を出ようとすると、町田先生はふう、と吐息をついて
「ごめん、亜咲君。もう一つお願い訊いてもらえるかな」
「え、なんですか」
僕が答えると町田先生は白衣のポケットから可愛いデザインのレター封筒を指し出した。一瞬、ラブレターかと思いドキッとしたのは、御多訊に洩れず一塊の男子生徒であるからだ。
「実話ねこの手紙冨喜摩さんに届けてもらえればなぁって。彼女3日も学校休んでいるでしょ。ちょっと心配になってお手紙書いたの。帰りに寄って来ようと思ってたんだけど、ちょっと用事が出来ちゃってね。亜咲君が代わりに届けてくれたら助かるんだけどなぁ」
その封筒を受け取ると、裏に住所が書いてあった。
僕は、白衣が良く似合う町田先生を見て
「先生」とだけ一言言葉にした
「うふふ、これは私の友達に個人的に出す手紙。だから個人情報満載の手紙よ、亜咲君あなたを信頼して頼むんだから、責任もって届けてくださいね」
笑顔で僕は「はい」と答え、制服のブレザーにしっかりとしまい込んだ。
「先生ありがとうございます」と会釈をして保健室を出た。
「んんん、青春青春。若いっていいねぇ亜咲君頑張れぇ」そういって町田先生はにこやかに僕を保健室から見送ってくれた。
捨てる神あれば拾う神あり。それはまさにこの事だ。思いがけず町田先生から美野里の住所を知ることが出来た。
だが、問題はこれからだ。
どうやって美野里に許してもらおう。そのことで頭が一杯だった。