アイ・ラブ・ユーの先で
どうして学校を休んでまでアルバイトをしているのか、ノートを届けるためにはじめて中華料理屋さんへ行ったとき、先輩に訊ねたことがあった。
それじゃ追いつかないのだと、そう言った彼のことを、わたしはあのころ、本当になにも知らなかった。
そう、きっとまだ、彼について知らないことのほうが、圧倒的に多くて。
そのとき、ふいに、玄関の扉が開く音が聞こえた。
ぎゅっと体がこわばる。
たん、たん、たん、
徐々に近づいてくる足音がドアの手前で止まり、そのノブが下りた瞬間、どんな顔を浮かべているのが正解なのか、見失ってしまった。
息をのんだのは、わたしだっただろうか、それとも、彼のほうだっただろうか。
一瞬だけ合った視線はすぐに逸らされた。
それは間違いなく、昂弥先輩のほうが、先だった。
逃げるように、踵を返していってしまう。今しがた開かれたばかりのドアが無慈悲に閉まる。廊下を引き返していく。一段ずつ、階段をのぼっていく。
そのぜんぶを知覚しながらも、わたしは無自覚に、必死に、遠ざかる音を追いかけていた。
「昂弥先輩っ」
お兄ちゃんや侑月の部屋でさえ、ノックもなしに勝手に入ったことなんてないのに。
相変わらず、がらんとした殺風景な部屋。
なにもない、生活感さえもないようなこの空間は、もしかしたら思い立ったときいつでも出ていけるように、わざとそう保ちつづけてきたのかもしれない。
「先輩……、昂弥先輩」
ふり向こうとしない背中にむかって呼びかけた。
明かりのついていない真っ暗な部屋に、淡く白い光が差しこんでいる。