婚前同居~イジワル御曹司とひとつ屋根の下~
着物のせいで歩幅が狭く、さっきから私はちょっと小走り気味。
そうやって遅れないように精一杯の状態で、私はそおっと目線を上げた。
私の二歩前を、さっきから一度も振り返らずに歩く、黒いシックなスーツの背中を見つめる。


身長百五十七センチの私より、優に二十センチは高い背丈。
スラッと細身なのに、広い肩と背中。
ちょっと猫っ毛っぽい焦げ茶色の髪が、秋の爽やかな風に揺れている。


ホテルのラウンジでお互いに家族と並んで座り、それっぽい歓談を終えた後……『あとはお若いお二人で』なんて常套句に送られて、現在私は彼と、手入れの行き届いた美しい庭園を散歩中。


背中にすら惚れ惚れしてしまう、なんて思った時。


「……っつーか、マジか。なんだこの途方もない敗北感は……」


ラウンジで顔を見合わせた途端目を丸くして絶句したっきり、一言も声を発せずにいた春海樹(はるみいつき)さんが、ここにきてやっと口を開いた。
掠れて空気に溶け込んでしまいそうなその声に、私は急いで隣に駆け寄る。


「俺、悪夢でも見てんのか? なんで俺が生駒と? 見合いだ? 結婚だ? なんの冗談だよ、いったい……」


彼の声は、ちょっと低めでとても耳に優しく心地よく響く。
大好きなその声を、今日やっと聞くことが出来た!とは喜びはしても、繰り出される言葉はなんだか夢遊病者のうわ言みたいだった。
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