婚前同居~イジワル御曹司とひとつ屋根の下~
「でも、樹さん……」

「あれだけ大勢の前で婚約発表したんだ。もう足掻いてらんないだろ」


手を引っ込めようとしながら名前を呼んだ私を、樹さんがシレッと遮った。
思わず口を閉じた私をゆっくり振り返り、樹さんはちょっと面白そうに笑う。


「……お前も、俺も」

「足掻くって、私は……」

「お前の宝物になってやる覚悟がついただけだよ」


発表会の会場を出た時からずっと繋いでいた手を、樹さんが静かに解く。
急に体温を失った左手を、私は無意識に右手で握り締めた。


そこにはちゃんと、ついさっき樹さんに嵌めてもらったばかりの指輪の感触がある。
固い硬質な感触。
だけど樹さんの温もりが染み入っていて、ほんのり温かく感じる。


「……覚悟……」


樹さんの言葉を自分の声で繰り返して、その言葉の意味を考える。
やっぱり樹さんは、そういう意味で私との婚約に踏み切ったの……?
婚約も指輪も嬉しいのに複雑な気分で、私はそっと唇を噛んだ。


そんな私に樹さんが一歩近付いてくる。
目の前に樹さんの黒いタキシードの胸が迫り、私はそっと顔を上げた。


「……違う、な。覚悟なら、最初から決まってた。俺には選択肢なんか他になかったんだから」


星が瞬く夜空を背に、樹さんが私を見つめていた。
彼の黒い瞳に、今、私だけが映っている。
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