いつも酔ってる林檎さんが、イケメン毒舌上司に呪いをかけるお話
「こんなに遊べると思わなかった」
右の瞼が貼り付いて開かない。
左目だけでぼんやり眺めたその景色、一面、クリーム色の絨毯だった。
ガラステーブルを取り囲むように白いソファが鎮座し、普通にテレビとか本棚とかオブジェとか、その光景はまるで分譲マンションのモデルルームである。
外から差し込んでくる光は柔らかく、明るく、朝のそれだった。
ふわもこの白い毛布をめくって、あたしはゆっくりと上半身を起こした。
頭上、シンプルな壁時計の針は6時を指している。
ここ、どこ。何県?
頭痛い。首痛い。
すぐ横に長いソファがあるというのに、絨毯の上で寝てしまったせいか、体中が硬く凝り固まっている。さらに首を寝違えたせいでその痛みがハンパ無い。
会社の応接室みたいな空気感と微かな煙草の匂いの中で、ただ、ぼんやり。
まるでゆうべ見た夢を思い出すように、かすかな記憶を頼りに時系列を辿った。
昨日、飲んだ。覚えている。ちょっと暴走した。これもしっかり頭にあった。
だけど美穂と渡部くんが居るはずだ。すぐ横で何かが動く気配がして、痛む首を無理やり向けると、ソファの上に誰かが寝転がっている。身体を横たえたまま、その誰かは寝返りを打った。あたしの真正面に現れたその顔は、美穂ではない。男だ。渡部くん。鈴木くん。久保田。同じ課の同僚。脳内でカラカラと鈍い検索を繰り返してみたけれど、その誰とも一致しない男性だった。
周囲には程良く生活感が漂っている事から、ここはそいつの自宅だろう。ラブホとかそういう類ではない事は分かる。昨日の名残りのようにガラステーブルの上にはスマホ。時計。煙草。その灰が溜まった灰皿。メガネ。その横に無造作に何枚か封筒があって、手を伸ばしたらその宛名には〝上杉東彦 様〟とあった。
ははは。
ははは。
は……とうとう破滅へのカウントダウンが始まったのか。
酒に潰れて、うっかり一夜を共にした。そうとしか思えない。こんなドラマみたいな展開が彼氏居ない歴28年にも同等に襲ってくるんでしょうか。神様ありがとうっ。なんて死んでもあの世で言うもんかっ!せめて相手を選ばせろっ。
待て待て。ふわもこ毛布をめくって確かめるまでもなく……着てるじゃないか。ブラウスもスリップも、下着も、昨日のままだった。セーフ。セェェーフ!
枕元にはミネラルウォーターが1本、あたしを待ち受けるようにぽつんと立っていた。神様を、そして眠っている上杉部長を……そこで初めて優しい眼差しで見つめる。何かの成り行き上、酔い潰れてやって来てしまった部下を、それでも意外と、まともに扱って介抱してくれた……と言う事かもしれない。ミネラルウォーターを、ごくごく頂く。有難く、いただきます。
思わず手を合わせたくなるほど、別人のようなその寝顔は、やけに穏やかに見えた。まず眉間にシワが無い。いつも目ヂカラを発揮する瞳は閉じているし、毒舌を吐き散らす口も寝ている時は大人しい。普段額を出した前髪は、今は自然に目元あたりに掛かっているせいか、やけに幼く見える。何て事ない白いTシャツまでもが、どこか懐かしささえ呼び起こして……まるでプールで泳いだ後にガチ昼寝してる小学生みたい。その健やか寝顔を見ていると、妙に笑いが込み上げてきた。何て言うか、ネタになりそう。写メとかしたいゾ。
あたしは自分のバッグを探してあちこち目を泳がせた。その時、彼が向こうに大きく寝返りを打つ。こっちは思わず驚いて身を引いたら、そこからまた健やかな寝息を立て始めた。Tシャツがめくれて、彼の背中、腰回りが露わになって、背骨のラインがくっきり。張りのある筋肉を感じさせて、妙にドキドキしてくる。
そして見た。見てしまった。その後頭部に薄っすらと10円ハゲを発見。目立たないから治りかけかもしれない。ハゲてるという噂の出所はこれか。いくらジャイアンでも、こういう事実は乙女心を切なくさせる。こう見えて意外とメンタル弱いの?というか、忙し過ぎて疲労がハンパないのかもしれない。ストレスもかなり溜まってそうだし。だから煙草量もハンパない。
一通りの事実確認に安心したらトイレに行きたくなってきた。向こうに見える自分の荷物らしき物も気になるし。立ちあがろうと膝を付いた所で、そこで初めて妙な違和感を覚える。そこから先、一瞬で絶望に突き落とされた。
スカートを穿いていない。それどころかストッキングも、その下の下着も。
血の気が引いた。これのどこがセーフなの。さっきまで優しい眼差しを向けていた事が嘘のように、あたしはブルブルと震えながら心の内で中指を突き立てた。
酔って介抱するふりで部屋に連れ込み、胸がモバイル並みに薄っすいと言う理由でプロローグもアプローチもスッ飛ばし、出すモン出した後で放置した……。
酷い。いくら勢いだからって、こんなムゲにされる覚えない。
そんな非常事態を経験していながら、何の絶望感も湧いて来ない事が不思議だった。そんな事ってある?女の一大事だったというのに。
「酒って、マジで魔物だなぁ」
今日初、発した声は割れてガラガラだった。ゆうべは相当飲んだと思い知る。
そうと分かれば、とにかく今は早くここを出よう。
上杉部長を起こさないように、こっそり立ちあがり、とりあえず今は毛布を腰に巻いて、静かに部屋を移動した。トイレはリビングから1番遠い位置にあって、迷わず使う。ハウスキーパーにでもお世話になってるのか、家の中はどこもかしこも、まるで磨きあげたように綺麗だった。
肝心のスカートとストッキングは、洗面台横のバスケット、まるで捨てられたみたいにそこにある。だけど肝心のアレが無い。スカートだけを身に付けて、肝心の、その、アレを探して回った。
洗面台も綺麗で水滴1つ落ちていない。さすがというかキッチリしてる。鏡に映るあたしはもう何て言うか酷い有様で、まずメイクは跡形も無い。髪の毛はどれがクセ毛で寝癖なのか分からない程、大暴れ祭り。顔を洗うついでに、水で濡らして撫で付けてみたけど、簡単に従ってくれそうもなかった。
蛇口の横にはハブラシが2本……出た!出ましたっ。だけど女性用にしては2本とも大きめで、色もブラックのガチ男子仕様である。2本とも彼自身の物という事もあるから、判断保留。だが、その足元のゴミ箱に、あたしは見つけた。見つけてしまった。これは言い逃れできない。女性用化粧品の空き瓶が2本、その先には〝○WEET〟〝○TEADY〟そんな女性誌がまとめて紐で括ってある。
あたしは、ふんと鼻で笑った。これがセフレという女の存在か。キャバ嬢か。そんな乱れた生活だからハゲるのさ。さっきまで哀れと思った事がウソのよう。
自分のバッグの荷物を確認して通路に戻ったら、玄関に恐竜のフィギュアを発見した。ハ虫類好きという噂の出所はこれじゃないのか。「小学生かよ」こんな状況にも関わらず、その意外な趣味にちょっと笑える。だが、とある一画を見た所でその笑顔は凍り付いた。通路のその先、別室のドアの前、巨大なヘビが直径およそ1メートルのとぐろを巻いている。
それと目が合った。
3秒、見詰め合った。
ぎゃあああぁぁっ!
< 12 / 34 >

この作品をシェア

pagetop