いつも酔ってる林檎さんが、イケメン毒舌上司に呪いをかけるお話
「なるほど。これが後輩ヤリマンの実態か」
ジャイ子かよ。
しずかちゃん、じゃねーのかよ。
とかって、ヤサぐれてる場合じゃない。
まさか美穂が渡部くんと付き合ってたなんて……知らなかった。渡部くんとあれだけ一緒にいて気が付かなかったとは、後輩ヤリマンの名がすたる。だからという訳じゃないけど、あたしは宇佐美くんに掛かりきりになった。最近、彼の成長は目覚ましく、丸っとテンプレ使用でも一通りアプリも使えるようになっている。こうなってくると、あたしも余計な事を考えている場合じゃない。
「そろそろ、作れるかな」
彼が営業に戻るためには、プランを1つ作る事が必須だった。つまり、実践。これはあたしの課題でもあると、その類の書籍を読み漁りながら、あたしは1つの計画を胸に、この所の彼の様子を窺っていた。
そこに「林檎ちゃーん」と広報課の後輩ちゃんがやってくる。
「今日の研修、おジイちゃんばっかりなんだけど、これってアタリ?ハズレ?」
「そう来たか」あたしも判断が付かないでいると、「ジイさんが独身ならアタリでしょ」と宇佐美くんが会話に加わった。「うーん、ハズレ感が否定できない」
「ジイさんが金持ちで性格良くてすぐ死にそうなら、女も考えるっしょ」
「「うーん」」とあたしも後輩ちゃんも、宇佐美くんの言う通り考え込んでしまった。後輩ちゃんは、「そっかぁ」と納得(?)して、宇佐美くんにもあたしにも、気前よくお菓子をくれる。それじゃおバァちゃんならどうなのか?と話題は発展して、「金持ちで性格良くて浮気許してくれるなら、僕は考える」と宇佐美くんの超ゲス発言が止まらない。「わ、最低」と後輩ちゃんに突かれて、嬉しそうに困っていた。いつのまにかフロアに馴染んでいる彼を見ていると、急に名残り惜しくなってくるから不思議だ。これだから、後輩ヤリマンは……彼はいつか月へ、じゃなくて営業に帰っていくお人だよぉ~。
10時を過ぎて1度給湯室に入る。コーヒーを仕込みながら……家の冷蔵庫から持って来た大吟醸3本全てを、給湯室の冷蔵庫に保管した。誰かが飲んでもマズイので(いやもう普通に美味いけど)、3本を包んだ紙袋には〝リンゴ〟と書く。「コンペが成功しますように」と柏手を打って願掛け。うまくいった暁には、これで、ちくっと。いやもう、3本ぐびっとやろう!
「林檎さん、ここ、分かんねぇです」
こっちの都合はさておき、彼はいつもいきなりだ。敬語なのか。田舎モンなのか。単に舐められているのか。未だ、ゆとりが分からない。
「えっと」と、流し台のタオルで手を拭いて、手元のモバイルを覗きこんだら、
「あ、JPEGを止めてPNGにしたら上手くいくっすね、これ」
「うん。その通り」
突っ込み以外、前フリもオチも全部1人でやってくれた。やれば出来る子。
そう言えば最近、林檎さぁん!と後輩がやって来ない。それぞれの成長に向けて羽ばたいていったという事かもしれない。いつかこの宇佐美くんも、林檎さんを卒業していく。彼の成長の証として、コンペという課題は1つの可能性にならないかと考えた。そして、あたしも。
よし!
お昼になって、「今日はオゴるから」と下のカフェ飯に宇佐美くんを誘った。
顔付き合わせて真面目に相談したい事がある……だが、何故かそれを聞き付けた渡部くんまでもが付いてきた。「やーなんか、離れるってなったら名残惜しいっすね」とか言うから、仕方ないと餞別代りにオゴる事になってしまう。
カフェでテーブル席に着き、宇佐美くんの髪型が「ファラオじゃん」とイジっていると、そこに鈴木くんもやってきた。「何?この勢揃い」こうなったら毒を喰らわば皿までという心境で「一緒にどう?林檎さんがオゴるよぉ」と誘ったら、
「僕、ここでジャイアンと待ち合わせなんですよ」
え。
マジで毒を喰らう事になるとは思ってもみなかった。逃げる暇など無い。
そこにジャイアン、上杉部長が入ってくる。それは、まず店内の空気を変えた。今日も細身のダークなスーツでキメて、その高身長が流れるように迷いなく店内を進む。それがすーっと風を起こして周囲に少なからず動揺を与えた。女の子は1度は目線を飛ばす。2度見した。耳打ちで仲間同士が囁き合い、遠くの方からは、「ほら来たぁ」と声がする。写メのシャッター音がそれに続いた。
彼の残念データを、あたしはここからどう集めていけばいいの。圧迫感という程には手応えが感じられないにも関わらず、あたしは妙に居心地が悪くなった。
上杉部長は、渡部くん、宇佐美くん、そこに加わった鈴木くんを一様に眺めて、
「なるほど。これが後輩ヤリマンの実態か」
毒づいたと思ったら、すぐ横のカウンターに座り、さっそくパソコンを開いた。カウンターはガラス張りで外から丸見え。外を歩くOLさんも2度見する。
「人聞きの悪い事言わないで下さい。渡部くんと鈴木くんは、たまたまです」
宇佐美くんはきょろきょろ見回して、
「えーでも、そう言われても間違いじゃなく。みんなオゴってもらうんで」
空気読めっ。オゴってもらうという認識があるなら黙ってろぉぉぉ。
そこにコーヒーが運ばれてきて、女性店員が恭しく、部長のテーブルに置いた。
「あの、打ち合わせですけど」と言いかけた鈴木くんを、「それは急がない。大人しく食ってろ」と突き放した。何て言うか……。
絶望したマングースの顔をした鈴木くんを、こちらは大歓迎で受け入れて、
「うし。食べよ。林檎さんのオゴりだ」
4人分のランチ・セット。1人1280円。
「おまえら、あたしにしては奮発だゾ」
そこから食べ始めたものの、また妙に居心地が悪くなってきた。そこで1皿追加。やってきたサンドイッチ・プレートを上杉部長の席に置く。
「オゴリです」
「今は要らない」
「間違えました。先日のお詫びです。これなら仕事しながら食べられます」
目が合った。
そこで、まるで観念するみたいにメガネを外して、「だったら貰っとく」
あたしは笑いたいのを我慢した。何て言うか、こじらせた素直がダダ漏れな人。
サンドイッチはもちろんだけど、鈴木くんにしたって、打ち合わせはどうでもいいから同僚とのランチタイムを楽しめ、ってそう言えばいいのに。
そこが……それこそが、上杉東彦の残念データなのかもしれない。それが分かったからといって軽蔑するような事でもなかった。軽蔑するどころか、逆に切なくなってくる。
あたし達4人のテーブルは静まり返った。何も喋らない。まるでお葬式みたいなランチタイム。それ以外、隣のテーブルも、そのまた隣も、外野では女の子達が賑やかだった。自分達がコーヒータイムになった途端、そこからもう堂々と上杉部長目掛けてやって来たかと思うと、
「あの、彼女さんとか居るんですか」
「居ない」
「だったら、LINEとかいいですか」
「嫌だ」
そこまでのやり取りは想定内だった。女の子はあまりの直情に半ば呆然として、偶然掛かって来た電話すら取れずに居る。あたし達4人はずっと固唾を飲んで見守っていた。案の定、
「名前も名乗らず、名刺も出さない。いきなり線引けとか言う。会社でそう教わってんのか。相手の都合も考えろ。それでも社会人か。君は中2からやり直せ」
女の子はブルブルと震えながら店を出て行った。上杉東彦の残念データ、ここにあり。あの子にとって軽蔑するにはパンチが有り過ぎる。きっと立ち直れない。
何か言ったら刺されるとでも思うのか、4人のテーブルは一層、沈黙に沈んだ。
ちょうどデザートに入った辺りで、宇佐美くんにどうやって話を切りだそうかと考えていた所、何故か久保田がやってくる。エレベーター前でもないのに。
来るなり渡部くんのチーズケーキを一口奪って、
「メシも食う。後輩も食う。林檎がほんと羨ましい。それも1度に3人も」
さっそくカマしてくれたけど、いつも同じ事しか言わないから純粋に飽きた。そこから久保田は上杉部長に向いて、「どうでしたか」と、何だか改まってお伺いを立てる。どうも何かの承諾を貰いに来たらしい。
「相手に何を要求しているのか、これじゃ伝わらない」
上杉部長から書類を突っ返された。思わず、下を向いて吹き出す。いい気味~、るーん。チーズケーキと一緒にこの茶番を美味しく味わおう。
「誤字だらけ。同じ地球に住んでると思えない。この数字の根拠が無い」
「確かそれは……」
久保田が言葉に詰まった。ボサノヴァの店内音楽がやけに大きく聞こえる。
「驚いた。まるで時間が止まってる。全然成長してない」
「すみません。何もかもすみません」
「謝らなくていい。おかげで名前が無くても、この担当が久保田だと分かる」
久保田は、言い返す言葉すら見失って途方に暮れていた。
午後からの対顧客プレゼン会議を前に内容を修正、とか言ってるけど今から修正って間に合うのかな。それも、後輩と女性社員の前でダメ出しされるなんて拷問だ。いかに久保田でもちょっと気の毒になってくる。上杉東彦の残念データが、久保田の心中では大嵐で巻き起こっているだろう。それは軽蔑というよりも憤怒という形で。全く無関係な店員やお客までも巻き込んで、さっきまで嬌声を上げていた外野が、今はさすがに同情の眼差しで見守っていた。
赤ペンだらけの書類を抱えて、久保田が慌てて去ったのを見届けて……あたしも勢い立ちあがる。言うなら今だ。ちょうどいい機会だと思った。この時は。
「あの」
上杉部長は背中を向けたまま、「今度は何の呪いだ」
「の、呪いって……」
「おまえがそうやって前置きする時は、碌でもない事ばっかり。そうじゃなければ聞いてやる。午後の会議の準備と同時進行で」
どこがいい機会だ。空気読め。死ぬほど後悔。中2から始めたい。とはいえ、投げてしまったからには同じ事だと、
「う、宇佐美くんですけど。もう随分できるようになりました、という報告と」
パソコンに打ち込む音は止まらない。ずっと背中を向けたまま。
「なので、あのコンペに一緒に参加しようかと思っています」
「ふぇ、マジっすか」宇佐美くんは驚いて、ぼんやり立ち上がった。後の2人も目を見張る。落ち着け。座れ。あたしは宇佐美くんに手で合図した。
「すみません。本人には今初めて言いました。これを卒業試験といいますか、評価して頂けるなら約束通り、宇佐美くんを第5でよろしくお願いします」
そこで、「僕ぅ」と宇佐美くんが恐る恐る手を上げた。
「別に営業じゃなくていいっすよぉ。何て言うか、クリエイターって面白そうだからそれもいいかなって。林檎さんも居てくれるし」
「何言ってんの」
それってまるで……。
「ウサギちゃんが赤い。林檎も赤い」と、これに渡部くんが真っ先に反応した。「林檎が赤いのは普通だろ。それを言ったらウサギの目も赤いけど」と鈴木くんまで大真面目で軽く混乱するのを見ていたら、次第にこっちも熱くなってくる。
「やめてよもう」
そこで初めて、上杉部長はくるりと、こちらを向いた。
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