いつも酔ってる林檎さんが、イケメン毒舌上司に呪いをかけるお話
上杉部長が居なくなった途端、「僕も詳しい事は知らないんですよ。ていうか訊けないですよ」鈴木くんの本音が漏れ始める。よ、待ってましたっ。
「キャバクラとかセフレとか、あれは単なる噂じゃないでしょうか」
「やけに確信持って言ってくれるね。その根拠は?」
「僕は、ジャイアンはそういうのに関わるような性格じゃないと思うんです」
確かに、仕事以外でああいうパターンは毒を吐いて嫌われるタイプだ。
「コスパ考えたら風俗の方が効率がいい、とか言いそうです」
それには、一女性として頷かない事で反旗を翻しておく。
「でも、そういう存在をはっきり否定しないんですよね。てことは」
そういう存在が居ない、わけでもない。
「でもさ、ちゃんと付き合ってるなら、あそこまでとことん隠す必要ある?」
不倫。人妻。実は女に興味が無い。
「正直、どれもピンときませんね」
そこで鈴木くんと3秒見詰め合い、部長が戻って来る気配が無い事を確認。そこで迷わずお酒を追加した。そこから話題は〝鈴木くんのジャイアンあるある〟に突入する。ぐいっとグラスを空けて、鈴木くんは好い飲みっぷりを披露すると、
「メガネを外したら、意外と可愛い顔してるんですよぉ。あるあるぅー」
弾けてノリノリ。便乗していいかどうか迷って「そうかな」とトボけた。
「あとあれです。言いにくい事を言う時は、必ずメガネを外します」
「そうなの?」
「こないだも、参加者から言われた見合い話を断る時、ずっとそうでした」
そんな事があったのか。
けちょんけちょんに断った女性が上に訴えて、顧客を失いそうになった事がある。以来、そういう類の女性が来るとやけに敏感になった。違うフロアの喫煙室にやって来るのは、相手に余計な時間を与えないため。それでも女の子は続々と追い掛けてきて……。
「自慢にしか聞こえないけど」
「まー、気を付けてると言ったって、あれですからね」
基本、けちょんけちょん。
「ジャイアンさ、ちょっとお疲れじゃない?」
ここで思い切って聞いてみた。ぽん、と10円ハゲが浮かんできたので。
「いつも、お疲れです。でも一晩寝たらスタミナゲージが回復するみたいです」
「そうかな。ちゃんと寝てない気がしない?」
「心配なんですかぁ、林檎さん」
鈴木くんの穏やかな微笑みが、ここに来てやけに鬱陶しい。
「社員の代わりは居るけど、講師の代わりは居ないんだから。急にジャイアンが倒れたら困るでしょ、鈴木くんが……って事で、これは鈴木くんの心配です」
「なるほど。林檎さんが後輩ヤリマンと言われる理由が分かった気がします」
「言ってる事、ジャイアンと一緒だよ?」
「これマジですけど。僕、本当に助かってるんです。作業が立て込んだ時、林檎さんを呼んでいいですか、って言えば、ジャイアンも嫌な顔しないから」
それどういう?その答えは、あたしの期待を大きく外れた。
「大抵の女の子は色ボケで来ちゃうけど、林檎さんは違うので」
動揺して、鈴木くんに余計な詮索をされないよう、あたしは忙しくテーブル上をバタバタと整えた。徳利の残りをお猪口に開けて、「すみませーん、これもう1つ」と声を張り上げる。
「今まで、林檎さん以外、大抵の女の子はボコボコにされました」
「林檎さんも結構ボコボコですけど?」
「平気でしょ。2人共、楽しく血祭りっていうか」
これまた鬱陶しい笑顔でヘラヘラしてくれた。鈴木くんはきゅうりを齧りつつ、「違う所で、僕は林檎さんが心配ですね」と、しみじみ言う。
何かと思えば、
「久保田さんですよ。ちょっと気をつけた方がいいかもしれません」
〝あの女は飢えてます。酔っぱらうと見境ないです。俺も1回ヤラれました〟
「ジャイアンに刷り込んでましたよ」
こっちが黙り込んだのをどう誤解したのか、「あ、ジャイアン、全然気にしてませんから大丈夫です」鈴木くんはまたまた鬱陶しい微笑みを投げ掛けてくる。
「別にそんな……元からそんな事気にする人じゃないでしょ」
「はい。〝1回程度で威張る事か〟って久保田さんをヤリ込めてました」
林檎に近づいたら殺すゾ、とは言ってくれないのかなぁ。あたしは鈴木くんには到底及ばない気がする。
「林檎さん、さっき彼氏居ないみたいな反応してましたけど、渡部とは?」
「久保田だったか。おまえは」
「いや渡部も、自分で年上の彼女が居るとか言って。てっきり林檎さんかと」
人には黙ってろとか言っといて、我慢できなくて自分から晒してるのか。もう嬉しさが滲み出てるとしか思えない。
「さすが後輩ヤリマンって、思わず勝手に盛り上がりました。すみません」
「今のあたしは飼い犬だよ~」と酒の勢いノリノリでブチ上げたけど、それで鈴木くんが盛り上がるかどうかは、また別の話だ。
「でもジャイアンは」鈴木くんは言い掛けて、「あ、いえ」と言い淀んだ。
「気になるじゃん。そこで止めないでよ」
「気のせいかな。僕の事疑ってるみたいな」
それってどういう。
「つまり、僕と林檎さんです」
3秒、見詰めあった。
「すみませーん。浅漬け1つ」「僕はそろそろウーロン茶で」
「無いよね」
「無いですよね」
「バカじゃないの、ジャイアン」
「バカですよね、ジャイアン」
お酒と浅漬けとウーロン茶が同時にやって来て、そこで2人で豪快に乾杯!
「ツルんでるだけで疑うのかって言った張本人が、それ言う?」
あるあるぅぅぅ~と鈴木くんがグラスを高く掲げた。ウーロン茶でクールダウンは間に合うのか。相当、酔ってる。もうこいつには頼れない。
「いや実はここだけの話、あたし彼氏居ない歴28年、今も記録更新中で」
こっちも酒の勢い、少々、口が軽くなった。「マジですか」さすがの鈴木くんもドン引きしている。「そんな風に見えませんね」「褒めてんのか、それ。これ内緒ね」と人差指を立てた。これ以上イジられる要素を加えたくない。イジられ尽くしたという鈴木くんは「今の第5はチームワーク抜群です」と実情を語った。
「周りはみんな好い人ばかりで。ジャイアンを根に持つ人も居ないから」
「久保田とかは?」
クリエイター3課として、第5に関わる事が多い。あれが好い人とは思えない。顔は平気に見せていても、1番根に持つタイプに思える。
「根に持てないと思います。担当としてジャイアンの横に居るだけで、久保田さん外部からも一目置かれますから。女の子も寄って来るし」
「つまり、一緒に居るだけで旨みがあるという事か」
鈴木くんが頷く。
「これだけは言わせて。あいつ、内部からは総スカンだよ」
鈴木くんは、「あははー」と気の抜けた笑いを晒して、
「僕だって、あの上杉の1番弟子とか言われちゃうんですからねー」
大真面目でドヤ顔だった。少しだけ、あたしの胸内に黒い物が持ち上がる。
「部長がああいう人だから、うちの社員はみんな仲良いです。僕も助けてもらって。あの久保田さんでさえ、おまえは大変だなーって同情してくれるんです」
「それ分かるかも。あたしが今そうだもん」
林檎さぁん!と新人が泣き付いてこなくなったのは、気のせいでもなければ、彼らが卒業したせいでもなかった。本人は元よりその上司までもがあたしに気を遣い、これ以上林檎さんに迷惑を掛けないように、という意識が働いている。それを美穂から聞いたのである。
「もう毎日、同情です。1番痛い所をゴリゴリ削って、塩をどっさりスリ込みますからね。ジャイアンは」
あるあるぅー……手を上げた所に、上杉部長の姿が目に留まった。部長はゆっくりやってきたかと思うと、鈴木くんの背後から静かに様子を窺っている。「こないだもね」と、鈴木くんは話を終わらせる様子が無い。これは、ヤバいんじゃないか。あたしは目線でSOSを送り、足元はガンガンぶつけているんだけど、当の鈴木くんは全く気付かない。ウーロン茶が間に合わないっ!
「〝おまえのプレゼン能力は分かった。その勢いだけで最後まで引っ張ろうとしたら恥を掻く。中身がスカスカな事は分かるヤツには分かるからな〟ってね。はははははぁー、あれは自信作だったのに凹みましたぁー」
「鈴木くんっ!?」
あたしは強引に顔を捻った。マングースどころじゃない。血の気が引く生き物の様を、あたしは目の当たりにする。鈴木くんは慌てて立ち上がったと思ったら、「す、すみませんっ」見ていて気の毒になる程、深く腰を折った。
「今のはセーフだろ。本人に面と向かって言えない事ならそれは」
「はいっ、それは純粋に悪意です」
鈴木くんは恭しく敬礼した。あたしは秒殺、俯いて、笑うのを我慢する。それ、どういう軍隊コントだよ。
酔いが一気に醒めて、鈴木くんはあわあわしながらも、「明日の事で」と、部長から小難しい用事を言いつけられていた。これもお酒のせいにしよう。さっぱり何を言っているのか分からない。1番弟子かぁ。2人の邪魔をしないように、あたしは化粧室に入った。戻ってきたら、その1番弟子が消えている。
「え、帰っちゃったんですか」
酔いも何もスッ飛んだ。まさか、妙な気を使われたんじゃないか。急に落ち着かなくなって、あわあわしていると、それを部長はどう誤解したのか、
「鈴木を追いかけたいなら、その先の地下鉄を行け。今なら間に合う」
「……別に何の用事もないですけど」
部下の恋の橋渡し。
それは部長にとって、よっぽど言いにくい事だったらしい。メガネを外して、天を仰いでいた。あたしと鈴木くんを疑っているというのは本当らしい。つまりこれって嫉妬じゃないか。部長が危機感を感じるほど、あたしと鈴木くんは急接近なのか。なるほど、これも後輩ヤリマンの実態だな。妙に気分が好い。
お会計に立って、「部長が居ない間にかなりお酒を追加したので、その分は出します」と言ったら、「いいよ」と彼がカードを滑り込ませた。「じゃこれ貰って下さい」と喰い下がると、「いいんだって」と彼も食い下がった。お札を捻じ込もうとしたら、急にこっちの手首を握られる。その手が思いがけず温かい。いつかを思い出して、その熱が腕を伝わっていくような錯覚に捉われて、思わず財布を落としてしまった。店員さんを巻き込んで小銭を追いかけるという100円追っかけ祭りをしている間に、彼はお会計をすっかり済ませてしまう。
「すみません。ごちそうさまです。いつもいつも、何か悪いなっていうか」
チラと見る。目が合った。
「林檎、おまえの敬語は時々タメ口が混ざる」
「そうですね。すみません」
「特に、あの日以来」
顔がカッと熱くなった。妹がよく携帯で、一回ヤッたぐらいで彼女面すんじゃねーよ!と熱く語ってるけど、いつの間にか、そんな女と大差ない事をしている。何もやってないし、彼氏居ない歴28年のくせに。
「気をつけろ」
「はい」
外灯が眩しいのか、彼はメガネを外して、何度か瞬きした。
「女とメシ食うのなんか久しぶりだった。楽しかった」
え。
< 22 / 34 >

この作品をシェア

pagetop