いつも酔ってる林檎さんが、イケメン毒舌上司に呪いをかけるお話
〝上杉東彦〟とある着信履歴。
飲んでもいないのに、酔っている。
あれから、そんな酩酊感を味わっていた。
「上杉さん、結婚するって聞いたんですけど。林檎さんって、どの方?」
若干だけど、まだまだその噂に留まる参加者も居た。居てくれたっ。そんなクソ……いえ、御来賓の方々の台詞も、今は耳に心地いい。
「林檎は私です。でもそれは単なる噂ですからご心配なく」
説得力に欠ける程の満面の笑顔で、もれなく対応していた。
あの時の、彼の匂いを思い出し、温度を思い出し、キスを思い出し、これでちくっとやった時、一体どんな心地がするんだろう……って、危ぶねっ!プレゼンが終わるまで、お酒は封印だった。こんな事をもう何度も繰り返している。発表が、もう3日後に迫っているというのに。
その1日目。
「うしっ」
いつものように頬を叩いて、宇佐美くんとの打ち合わせに向かった。
「しっかり下準備をして、まずは失敗の無いプレゼンを目指そうねっ」
上杉部長のように……そこは伏せたけど、勝手に頬が緩んで、宇佐美くんからは何やらずっと疑われている。そこに鈴木くんがやってきたら、開口一番、
「林檎さん、ジャイアンから、これ預かってます」
一瞬で心臓が跳ね上がった。渡されて見ると、初めての打ち合わせで見せたダメダメの研修資料に、彼が赤ペンでチェックを入れていた。マジずるいっ。誰も居なかったら号泣するかも。だがこれは、別の意味で号泣ものだった。
グラフ。イラスト。色合い。随所がもう真っ赤っ赤である。〝タイトルが地味。クリエイターとして感性を疑う〟とあった所は、さすがに凹んだ。
「言葉を、ちょっと変えてみよっかな」
直観を信じて、タイトルを変更。〝君と僕のコミュニケーション講座〟
ゆとり世代に寄せた無邪気なタイトルで気を惹くというのが狙いだ。年配の上司に自分の新人時代を思い出してくれたら、という願いも込める。これでまたダメ出しされたら……そこで思わず笑みがこぼれた。ダメ出しを待ち望むなんて、ドM体質がいよいよ本格化してきたかも。
あたしが資料を見直している間、宇佐美くんと鈴木くんが、テーマに沿った実習課題を過去のデータから探っていた。いつか部長が見つけてくれたファイルもその中にある。「気になった所は付箋紙を貼ってね」
そこに、「鈴木ってここ?」と、久保田がやってきた。用事もそこそこ、
「おぉ、ヤリマン大売り出し。とうとうウサギの肉が餌食に」
「今度チクる時は少々盛りましょうか。次は本気で殴られますよ」
久保田はチッと舌打ちをして、「分かってねーな。部長は俺を逃がしてくれたんだよ。こんな女のために人生棒に振るんじゃねぇ、って事」
あの時、部長はガチで久保田を殴るつもりだったのかな?と、ふと浮かんだ。彼がメガネを投げてネクタイを緩めただけで、こっちは勝手にそう思い込んでしまったけど。思えば、柔道黒帯を聞いた時も、あれが嘘だとは思えなかった。妙に堂々としてるから、うっかり信じてしまう。結果、戦わずして勝利だ。そういう所も凄い。ふふん♪と思わず鼻歌が出る。
「やけに余裕じゃん。鈴木が協力してるからって、部長が肩入れしてくれると思ったら大間違いだからなぁ。そういうの上杉さん1番嫌がるっつうか」
あたしはそれを最後まで聞く事無く、「久保田さん、今度のプレゼン期待してます。こっちは2人共ぺーぺーですから、ぜひ勉強させて下さい」そこでニッコリ笑って殊勝な所を見せたら、久保田は文字通り、目を白黒させた。
しっかりした後ろ盾があるというのは、こんなにも人を強くするのか。まるでそんな女の生き見本だと思った。勘違いのヤベぇ女にだけは、なってはいけない。
「上杉さん、今頃冬休みだって?」
「違います。福岡に出張です」
そこで、「あ、いえ。それが」と鈴木くんが割って来て、「表向きは冬休みなんですよ。でもその実態は、ほとんど出張というか」
肩透かしは喰らったけれど、嘘付きと責めるほどでもない。説明が長くなるから端寄った、と言うだけの事だ。怒るような事でもないけど……ぷちん。
「屋外で開催する、青少年の体験学習をモニターするらしいんです。ずっと招待されていたのに行けなかったので、この機会にというか」
鈴木くんが、まるであたしを慰めるみたいに教えてくれた。「へぇ。何か面白そう」戻ってきたら、聞けるかな。その体験学習の色々も。鈴木くんには2人の事、どこまで話してあるのかも。
久保田は、鈴木くんに探し物を聞いて、部屋を出て行った。邪魔モノは消えた……と、まだ決まっていない実習課題に、本格的に取り掛かる。
内容は、冒頭からストレスチェックを入れる事は決めていた。最後には、OJTにその結果を反映させて役立てる、そんな要素も取り入れている。
「サンプルになりそうな経験談をピックアップしましょう。これは第5から持って来ました」と、更に、どっさり。「これ全部っすかぁ」さっそく宇佐美くんが情けない声を上げる。「「手伝うから」」と先輩2人に睨まれては逆らっても居られないと、大人しくファイルの続きを開いた。3人で黙々と、ファイルをめくる。付箋紙を貼り付けた。「後は、どれをクローズアップするか、だね」
それぞれの立場で、違う言い分。本気で開催したら2時間では済みそうにない。
「僕でよかったら、シミュレーションとかも協力しますよ」
鈴木くんが頼もしい。ハルヒコサンが居なかったら、どうなっていたかな?なーんて、妄想シテハ、イケナイ。
あっという間に8時。本日はこれでお開き……そして2日目は、一通り資料のチェックを終えて、ここから宇佐美くんのプレゼンに全神経を集中させる。
プレゼンの講師は、鈴木くん大先生であった。パワポの応用はもちろん、効果的な演出方法から、グループワークの実演まで。
「最初から通してやってみよっか」
宇佐美くんのたどたどしい説明を聞きながら、「そこ1番、噛んだらいけないトコだよ」と、時折、喝を入れた。「マイクを使うなら、口元から絶対離さないように」と、鈴木くんも時々言ってくれる。「初心者はよくやるんですよ。肝心な所が聞こえなくなりますから、ここで固定です」らしい。
およそ15分間のプレゼン。宇佐美くんは何度も噛み、何度も止まる。慣れるまでには練習が足りないな。特訓だな。何度か繰り返して、練習に疲れた宇佐美くんを座らせた所に、また久保田がやって来た。微妙な風を起こして書類を散らかしてくれたと思ったら、「ほらよ。差しいれ」と、お菓子を広げる。「たまには休めよ」と、宇佐美くんの肩を叩いて、見慣れない優しさを振りまいた。
「あ、りがとう、ございま、す」
久保田にお礼を言う事に、こっちも慣れていない。ちょうど休憩だった事もあって、お菓子もお茶も3人で美味しく頂いた。そこから……何故か、久保田がなかなか立ち去ろうとしないのだ。不思議に思っていると、「そうガン飛ばすなって。はいはい、3Pの邪魔して悪かったな」と、オドけて部屋を後にした。
「あたし、そんなに目つき悪いかな」
「まぁまぁっすね」とか言われると「ウサギめ」ここ1番、目つきは悪くなる。
ようやく実習のシミュレーションに入った。これを元に、参加者にはレポートを書いてもらう、と段取りを頭の中で何度も繰り返す。
1番分かりやすいという理由で、サンプルから女性上司と男性部下という設定を取り上げた。まず、あたしと鈴木くんでやってみる。宇佐美くんが「コントだぁ」と笑いながら眺めるけれど「「真面目に」」2人に睨まれて大人しくなった。鈴木くんの目つきも、なかなかキレキレだ。堂に入っている。
そこで内線が入った。あたしの担当に急な変更があったとかで、2人には程々に切り上げる事を伝えてデスクに戻ると……午後8時。
またまた今日もアッという間。修正を済ませたら無性に喉が渇いて、お茶が入る時間も待てないと、蛇口の水を飲む。そう言えば、携帯……何て事だ。3時間ぶりに開いたら、着信が3つも入っている。
〝上杉東彦〟とある着信履歴に、幸せの実感がとろりと湧いてきた。彼の出張が寂しい半面、正直今は助かるかも……普通に目の前に立てる自信が無い。もう足元から、ふにゃふにゃになってしまいそうだ。居ない歴28年分の破壊力で押し押せる恋の魔力は、思った以上に強力である。
そこに、スマホが着信した。表示を穴があくほど見つめて、足元からカーッとせりあがる熱に押される勢いで通話を繋げると、「は、はろぅ?」
『くっ』
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