いつも酔ってる林檎さんが、イケメン毒舌上司に呪いをかけるお話
相手がいきなり吹き出す所から会話が始まった。
『日本だろ。普通に言えよ。ホラーって聞こえて地味に怖いから』
まるですぐ近くに居るような。耳元で聞こえる声は内線の、いつもの彼だった。
『プレゼンは、どう』
来た来た。さっきまでやっていた練習状況をちょっとだけ話して、
「あの」
ここで、「呪いじゃないです」と前置き。
「ありがとうございます。宿題をこんなにたくさん」
『あれを全部鵜呑みにしなくてもいいから。好きなようにバッサリ殺れ』
とかって、まるで照れ隠しに悪態ついてるみたいに思えて、ちょっと笑った。
残念データを探っていた頃がウソのよう。今は何を聞いても、そこから隠された美味しい部分を掘り起こそうと胸が躍る。
『このコンペは、とにかくプロセスが大事だから。そこだけきっちり押さえて』
はいはい、分かっています。
鈴木先生のおかげで何とかなりそうです。ウサギもどうにか頑張ってます。
「お土産、買ってきてくださいね。金塊とか、油田とか」
『ワニとか、トカゲとか』
「てゆうか、活きの良い後輩をお願いします。普通に敬語の使える人で」
『だったら、いっその事、無口な奴はどうだろう。アナコンダとか』
電話の向こうで誰かが、ちょいちょい笑ってる事が分かった。「何か楽しそう」
聞けば、これから接待されて飲みに行くらしい。
「あの」
ここで、「これも呪いじゃないです」と前置き。「せっかくのお休みですから、ちゃんと休んで下さいね。遊ぶというより、しっかり身体を休めて」
彼は含みを持たせて、『うん』と頷くと『これからプライベートも忙しくなりそうだからな』そんな呟きと笑い声……それを最後に通話は終わった。
今頃冬休みという事は、夏休みは年末あたりになるかも。そんな近い未来に妄想を飛ばして……「プレゼン、プレゼン、鈴木、宇佐美、ついでにライバルは久保田のクズだけどお菓子はありがとうっ」
そして迎えた3日目。とうとう明日は、本番だ。今日は最後の通しリハーサルを行う事にしている。鈴木くんは仕事で手が離せないので、今日は2人だけだ。
そこに、またまたまた久保田がやってきた。
「この後、俺らが練習だ。早く撤収しろよな」と、前ノリで権限を振りかざしてきたのでメンチ切る。これで、昨日の差しいれは相殺だ。
2回ほど通して、そこからカフェに場所を移してダメ出し。結果、その夜、宇佐美くんは美穂のマンションにまでやって来た。そこから美穂と渡部くんを巻き込んで、夜通し大特訓に突入する。順序通り、一通り噛まずに言えた所で及第点。すっかり寝落ちした宇佐美くんを横目に、ここで、部長との一件を美穂と渡部くんだけには晒した。林檎さん、一世一代のドヤ顔で。
「あたしと部長の事は、内緒でお願いしまーっす」
今のあたしは、まるでいつかの渡部くんである。
上杉部長と付き合ってる事が知られてしまったら、プレゼンで彼が手心加えるんじゃないかと疑われてしまうから……そこでどんなに考えてみた所で、手心加える部長が想像つかなかった。毒舌に磨きが掛かると言う事はあるかもしれない。
美穂は驚かなかったけど、渡部くんは「うっそ。鈴木のヤツ、振られちゃう?」
デコピン上等!今度は鈴木くんと結婚する事になるかもしれない。「それ噂にしたら殺すよ」と威嚇しておいた。何か今ちょっと部長が乗り移ってない?
「ま、よかったじゃん。まゆに、お酒の代わりが見つかって」
お酒よりも、かなり刺激が強いけどね。そこを詳しく、と突っ込まれたら困ると思って、それは黙っておく。宇佐美くんの健やかな寝息を聞きながら、資料に手抜かりの無い事を確認している内に、あたしも寝落ちした。
そして、迎えたプレゼン当日。
あまり訪れる事のない2階の会議室に一同が揃った。場所が変わっただけで、変な緊張感が漂う。岩槻部長も出席している。非公式の集まりとは言え、人事部長まで居た。錚々たる面々だ。
宇佐美くんは大丈夫だろうか。「ヤベぇ」とか言ってるけど。
そして、あたしも大丈夫か?「ヤベぇ」思わず呟いてしまう。
あの日より初めて顔を合わせる彼は、少し日に焼けたような気がした。ちょっと野性的で、無邪気にも拍車が掛っている。そんな彼の姿を真正面に見て、あたしは挙動不審が止まらない。上目遣いでチラッと盗み見、そしてまた俯く。プレゼンが宇佐美くんで良かった。今のあたしは普通に声が出そうにない。
そこに、久保田がやってきた。わざとらしく周囲を見渡し、敢えて隣りを選んで席に着くと、「おう、ヤリマン。楽しみだな。身の程を知れ」わざわざ嫌味を浴びせてくれた。発表は、あたし達を入れても5つだけ。あたしと久保田を覗いて、他は勤務3年に満たない社員ばかりだった。ルーチンで手一杯。チャレンジは無理。仕方ないとは言え、寂しいな。
発表は、久保田が1番手、あたし達は3番手になる。もう1度「大丈夫?」と宇佐美くんを窺ったら、「ヤベぇっすね」と来た。逃げ出さないだけ良しとしよう。
久保田のプレゼン、まず資料が配られた。その表紙に、あたしは目を疑う。
〝君と僕のOJT。コミュニケーション講座〟
そこで宇佐美くんと目が合った。彼も同じ事を考えている。
偶然テーマが同じ。これはあるかもしれない。その上、タイトルも激似。同じような研修はいくらでもあるから、気のせいと思えば思えるけど……そして、それは始まってすぐの事。
「まずみなさんに、ビジネスに於いて日頃のストレスチェックをして頂きます」
途端、体中が震え始める。
発表が進めば進むほど、その実態が剥き出しになった。事前のストレスチェックだけではない。OJTに反映させるデータ、参考にしたアンケートの声、グループワークに取り入れた上司と部下という役割まで、全てが重なっていた。
……迂闊だった。何が、差しいれだ。例え見聞きしたとしても、まんまパクるなんて普通なら恥ずかしくて出来ない。普通じゃない。これは、拒絶した女に対する嫌がらせなのだ。つまり、あたしのせいだ。
どうしよう。
動揺が、宇佐美くんにも伝わったらしい。「林檎先輩、どうするんっすか」と、不安そうに耳元で囁いてくる。
どうしよう。
久保田の発表は、グループワークのシミュレーションに移った。サンプルも、そのまんま。ここで同じ事をやったら、宇佐美くんが矢面になって疑われる。あたしは、それを1番怖れた。宇佐美くんを見ると、まるで指示を仰ぐかのように、顎を突き出してくる。
……ごめん。
何も言わなくても彼は察したのか、配る筈の資料を裏返して答えに変えた。
「すみません。実は準備が間に合わなくて。また次の機会にお願いします」
順番を待たず、久保田の発表が終わるとすぐにリタイアを宣言した。
とはいえ、その場に居座る事がどうしても出来ない。見ないように、考えないように、そう思ってはいても、彼が……失望する姿が目に浮かぶ。
あたしは静かに立ち上がった。
深く一礼して、会議室を後にして。
化粧室には間に合わなかった。
誰も居ない通路で、うずくまる。
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