いつも酔ってる林檎さんが、イケメン毒舌上司に呪いをかけるお話
頑張れ。
とにかく、止まるな。
言葉を噛んだり、上滑りして早口になったり、たまにタメ口混ざってるよっ。それで前列からあからさまに顰蹙を浴びても、宇佐美くんは止まる事はなかった。
お互いの立場を交換して、会話のシミュレーション。それをグループワークに取り入れるという、久保田に盗まれた部分もそのままだった。
「僕も実際、上司とやってみました。あそこの」
その指の先に、上杉部長がいる。会場が少々ザワついたのは、上司に指をさすという無礼も原因じゃないか。いや、それより。
「やってみたのはいいんっすけど、ああいえばこう言うっていうか、口が上手過ぎる部下と言うのも、なんつーか、可愛気が無いと思います」
うわ、無表情で放り込んだっ。
ああ言えばこう言う……彼の新人時代が容易に想像できる。思わず、あたしが吹き出したら、それが呼び水になったのか、そこら中で小さな笑いが起きた。苦虫を噛み潰したような、ここまで悔しそうな彼の表情はやけに新鮮に映る。隣の鈴木くんが、「明日から大火傷で火だるまを覚悟だな。ウサギは」と呟いた。そうなると……ここに居るとは言ったものの、やっぱ逃げてもいいかな?と卑怯な考えが1秒浮かんで消える。
そこからおよそ2時間、昼休みを挟んで4時間。静謐の中で、部長の講義が淡々と進んだ。かと思うと、質問コーナーでは半分バトルになったりもする。その1人1人が真剣で、聞いているこっちの背筋が伸びる思いだ。
講義が無事終わり、そこから、アンケート回収を含む後始末に追われていると、
「この後、打ち上げどうですか。宇佐美くんも入れて4人で」
鈴木くんが誘ってくれた。そこで上杉部長をちらっと見る。朝より少々崩れた前髪、その表情からも疲れは隠せない。それでも参加者に囲まれ、いつものように分身の笑顔を振りまき、個別の質問を上手くあしらって……まるで別人。
そして、あたしも別人になる。
それで、これからも繋がる事ができるんじゃないか。
「鈴木くん、ごめん。今はちょっと」
「林檎さん、待って。違うんです。僕らはすぐ消えますから」
いや、もうそういう気遣いとかじゃなく。
「違うの。あたし、もうちょっとテンション上げてからじゃないと無理だ」
あたしはそこから部屋を飛び出し、階段を駆け下り、4階フロアの給湯室に飛び込んで、禁断の冷蔵庫を開いた。〝リンゴ〟とある紙袋を開こうとしたその時、ふと横のポケットに差しこんである包装紙が目に留まる。これはいつかの、彼のお土産だ。開けると福岡の銘酒、それも純米大吟醸が、でーんと飛び出す。普通に買えば、この小サイズでも5千円はする筈だ。迷わずこっちを開けた。
可愛い彼女の居る人。
どんどん高い所に行っちゃう人。
もうほとんど見えなくなってる人。
1つ1つ、自分と彼との間に立ちはだかる壁を取り上げながら、あたしはお酒をぐいぐいと引っ掛けた。この会社で飲むのは、これが最後になるかもしれない。つまり、もし断られたら、会社を辞める覚悟である。
すっかり誰も居なくなった研修室、ジャケットを机上に無造作に置きっぱなしにしたまま、壇上横で椅子に腰かけて、彼はアンケートに目を通していた。
「あの」と、思い切って声を掛けたら、
「呪い、スタート」
受けて立つ、という事だと勝手に受け止めた。
「呪いではなく、お願いです」
「なるほど。今頃になって、とうとう彼氏に逃げ込んできたのか」
チラとも見ない。いつになく冷たい態度。ですよね。こんな酔っ払い。
「いえ、逃げません。あたしは、今日から恋愛を封印します」
そこで初めて目線が繋がった。メガネの奥で、その瞳がきゅっと細くなる。
「あたしは、これから仕事に集中します」
今まで以上に。心を入れ変えて。
「だから鈴木くんと一緒に、あたしを上杉部長のチームに加えて下さい」
彼はジッとこちらを見詰めたまま何も言わない。
「勝手に付いて行きます。大コケすると思いますが、よろしくお願いします」
何を言っても、やっぱり無言だった。
では。
「……待て」
声色が硬い。相当、怒っているような気がした。ですよね。こんな酔っ払い。
「つまりこれは、嫌がらせという呪いなのか」
「違います。ガチで真剣なお願いです」
彼は、そこでアンケート用紙を乱暴にまとめて、それを机上に叩き付けた。
「あれだけ許しておきながら恋愛しないって、適当にも程があるだろ」
「それを言うなら、部長こそ適当が過ぎませんか。実はちゃんと彼女がいるじゃないですか」
「居ない」
彼はそこで目を逸らした。しばらく考え込んだかと思うと、「いや、今はいる」
ほらぁ!?
あたしは目を剥いた。
「その酒腐れの脳ミソでよく考えろ。おまえ自身は何なんだ、って事だろ」
そんな指を差されても……突如、さっきのプレゼンで上司を指さした宇佐美くんに、あぁ礼儀から教えなきゃ、と思った事が頭にぽんと浮かんできた。頭を振る。もう1回振る。お酒のせいで、目の前の一大事に集中できなくなってるよ!
「あの」
ここは少々、目に力を込めた。
あたしは立っている。彼は坐っている。自動的にこっちが上から目線になって、まるで本当に呪いを掛けるみたいだ。
「もう嘘も誤魔化しも余計です。あたしちゃんと見ましたから。マンションの前で彼女とイチャついてるとこ。胸とか触ってましたよね。もうニコニコして」
嫌らしい……聞こえるかどうかのギリギリで呟いたら、彼はチッと舌打ちした。
「巨乳で、超スタイル良くて、髪の毛ふわふわ、瞳はくりんくりん、メイクはお嬢様風、なのに色気あり過ぎ。うちの女性社員が何人掛かっても叶わないと思います。あんな花柄のふわりぃワンピースなんて、あたし着た事ありません」
部長とお似合いです……これは聞こえるように、はっきり言った。そこで、彼は椅子にふんぞり返り、腕を組み、これ見よがしに足も組む。まるで開き直りだ。
「随分、褒めてもらって、あいつも大喜びだな」
認めた。
「ご心配なく、あたしは仕事で繋がると決めたので、もう何を聞いても関係ありませんから。ストーカーする元カノにも化けませんのでご安心下さい」
ケジメを付ける。部長にというより、これは自分に言い聞かせた。
そこで、彼はゆっくりとメガネを外した。最後の爆弾が落とされる。どんな猛毒でも、飲み込む覚悟は出来ていた。今のあたしに失って怖い物は無い。何を言われても勝手に付いて行くんだから。
「アレハオトコダ」
微妙に、かたこと。しばらく黙り込んで、その言葉を頭の中で反芻する。
「オトコダ」
さっきよりは声が大きい。未だ意味不明は、あたしが酔ってるせいなのか。頭を振る。また振る。
「男」
さらに大きな声だったので、ここまで来るとはっきり聞こえた。彼はイラついて、そこで煙草を取り出し、火を付ける。「ここ禁煙です」
「会社で酒喰らってるおまえが言うな。何度も言う、あれは男だ。巨乳は仕込んでデカく見せてるけど正真正銘の男だ。聞こえたなら返事しろ」
聞こえましたよ。でも。
「やだ部長、ウケるぅー……って言うと思いますか。まさか部長ってオネェなんですか。キャラに合わない冗談止めて下さい。うっかり笑う所でしたよ」
「俺は違うと、これだけは言っておく。笑いたければ笑え。俺も思春期あたりから毎日笑ってる。あいつは派手にコケた家の失敗作だからな」
とにかく、止まるな。
言葉を噛んだり、上滑りして早口になったり、たまにタメ口混ざってるよっ。それで前列からあからさまに顰蹙を浴びても、宇佐美くんは止まる事はなかった。
お互いの立場を交換して、会話のシミュレーション。それをグループワークに取り入れるという、久保田に盗まれた部分もそのままだった。
「僕も実際、上司とやってみました。あそこの」
その指の先に、上杉部長がいる。会場が少々ザワついたのは、上司に指をさすという無礼も原因じゃないか。いや、それより。
「やってみたのはいいんっすけど、ああいえばこう言うっていうか、口が上手過ぎる部下と言うのも、なんつーか、可愛気が無いと思います」
うわ、無表情で放り込んだっ。
ああ言えばこう言う……彼の新人時代が容易に想像できる。思わず、あたしが吹き出したら、それが呼び水になったのか、そこら中で小さな笑いが起きた。苦虫を噛み潰したような、ここまで悔しそうな彼の表情はやけに新鮮に映る。隣の鈴木くんが、「明日から大火傷で火だるまを覚悟だな。ウサギは」と呟いた。そうなると……ここに居るとは言ったものの、やっぱ逃げてもいいかな?と卑怯な考えが1秒浮かんで消える。
そこからおよそ2時間、昼休みを挟んで4時間。静謐の中で、部長の講義が淡々と進んだ。かと思うと、質問コーナーでは半分バトルになったりもする。その1人1人が真剣で、聞いているこっちの背筋が伸びる思いだ。
講義が無事終わり、そこから、アンケート回収を含む後始末に追われていると、
「この後、打ち上げどうですか。宇佐美くんも入れて4人で」
鈴木くんが誘ってくれた。そこで上杉部長をちらっと見る。朝より少々崩れた前髪、その表情からも疲れは隠せない。それでも参加者に囲まれ、いつものように分身の笑顔を振りまき、個別の質問を上手くあしらって……まるで別人。
そして、あたしも別人になる。
それで、これからも繋がる事ができるんじゃないか。
「鈴木くん、ごめん。今はちょっと」
「林檎さん、待って。違うんです。僕らはすぐ消えますから」
いや、もうそういう気遣いとかじゃなく。
「違うの。あたし、もうちょっとテンション上げてからじゃないと無理だ」
あたしはそこから部屋を飛び出し、階段を駆け下り、4階フロアの給湯室に飛び込んで、禁断の冷蔵庫を開いた。〝リンゴ〟とある紙袋を開こうとしたその時、ふと横のポケットに差しこんである包装紙が目に留まる。これはいつかの、彼のお土産だ。開けると福岡の銘酒、それも純米大吟醸が、でーんと飛び出す。普通に買えば、この小サイズでも5千円はする筈だ。迷わずこっちを開けた。
可愛い彼女の居る人。
どんどん高い所に行っちゃう人。
もうほとんど見えなくなってる人。
1つ1つ、自分と彼との間に立ちはだかる壁を取り上げながら、あたしはお酒をぐいぐいと引っ掛けた。この会社で飲むのは、これが最後になるかもしれない。つまり、もし断られたら、会社を辞める覚悟である。
すっかり誰も居なくなった研修室、ジャケットを机上に無造作に置きっぱなしにしたまま、壇上横で椅子に腰かけて、彼はアンケートに目を通していた。
「あの」と、思い切って声を掛けたら、
「呪い、スタート」
受けて立つ、という事だと勝手に受け止めた。
「呪いではなく、お願いです」
「なるほど。今頃になって、とうとう彼氏に逃げ込んできたのか」
チラとも見ない。いつになく冷たい態度。ですよね。こんな酔っ払い。
「いえ、逃げません。あたしは、今日から恋愛を封印します」
そこで初めて目線が繋がった。メガネの奥で、その瞳がきゅっと細くなる。
「あたしは、これから仕事に集中します」
今まで以上に。心を入れ変えて。
「だから鈴木くんと一緒に、あたしを上杉部長のチームに加えて下さい」
彼はジッとこちらを見詰めたまま何も言わない。
「勝手に付いて行きます。大コケすると思いますが、よろしくお願いします」
何を言っても、やっぱり無言だった。
では。
「……待て」
声色が硬い。相当、怒っているような気がした。ですよね。こんな酔っ払い。
「つまりこれは、嫌がらせという呪いなのか」
「違います。ガチで真剣なお願いです」
彼は、そこでアンケート用紙を乱暴にまとめて、それを机上に叩き付けた。
「あれだけ許しておきながら恋愛しないって、適当にも程があるだろ」
「それを言うなら、部長こそ適当が過ぎませんか。実はちゃんと彼女がいるじゃないですか」
「居ない」
彼はそこで目を逸らした。しばらく考え込んだかと思うと、「いや、今はいる」
ほらぁ!?
あたしは目を剥いた。
「その酒腐れの脳ミソでよく考えろ。おまえ自身は何なんだ、って事だろ」
そんな指を差されても……突如、さっきのプレゼンで上司を指さした宇佐美くんに、あぁ礼儀から教えなきゃ、と思った事が頭にぽんと浮かんできた。頭を振る。もう1回振る。お酒のせいで、目の前の一大事に集中できなくなってるよ!
「あの」
ここは少々、目に力を込めた。
あたしは立っている。彼は坐っている。自動的にこっちが上から目線になって、まるで本当に呪いを掛けるみたいだ。
「もう嘘も誤魔化しも余計です。あたしちゃんと見ましたから。マンションの前で彼女とイチャついてるとこ。胸とか触ってましたよね。もうニコニコして」
嫌らしい……聞こえるかどうかのギリギリで呟いたら、彼はチッと舌打ちした。
「巨乳で、超スタイル良くて、髪の毛ふわふわ、瞳はくりんくりん、メイクはお嬢様風、なのに色気あり過ぎ。うちの女性社員が何人掛かっても叶わないと思います。あんな花柄のふわりぃワンピースなんて、あたし着た事ありません」
部長とお似合いです……これは聞こえるように、はっきり言った。そこで、彼は椅子にふんぞり返り、腕を組み、これ見よがしに足も組む。まるで開き直りだ。
「随分、褒めてもらって、あいつも大喜びだな」
認めた。
「ご心配なく、あたしは仕事で繋がると決めたので、もう何を聞いても関係ありませんから。ストーカーする元カノにも化けませんのでご安心下さい」
ケジメを付ける。部長にというより、これは自分に言い聞かせた。
そこで、彼はゆっくりとメガネを外した。最後の爆弾が落とされる。どんな猛毒でも、飲み込む覚悟は出来ていた。今のあたしに失って怖い物は無い。何を言われても勝手に付いて行くんだから。
「アレハオトコダ」
微妙に、かたこと。しばらく黙り込んで、その言葉を頭の中で反芻する。
「オトコダ」
さっきよりは声が大きい。未だ意味不明は、あたしが酔ってるせいなのか。頭を振る。また振る。
「男」
さらに大きな声だったので、ここまで来るとはっきり聞こえた。彼はイラついて、そこで煙草を取り出し、火を付ける。「ここ禁煙です」
「会社で酒喰らってるおまえが言うな。何度も言う、あれは男だ。巨乳は仕込んでデカく見せてるけど正真正銘の男だ。聞こえたなら返事しろ」
聞こえましたよ。でも。
「やだ部長、ウケるぅー……って言うと思いますか。まさか部長ってオネェなんですか。キャラに合わない冗談止めて下さい。うっかり笑う所でしたよ」
「俺は違うと、これだけは言っておく。笑いたければ笑え。俺も思春期あたりから毎日笑ってる。あいつは派手にコケた家の失敗作だからな」