いつも酔ってる林檎さんが、イケメン毒舌上司に呪いをかけるお話
オネェやってる〝弟〟が居ます……そんな真顔で愉快な事言える人でしたっけ。
リアルガチ。ウチにも負けないドキュンな家族がこんな身近に居たとは。
曰く。
彼の弟は、オネェの趣味とオネェの仕事がバレて家を追い出され、今は彼のマンションで一緒に暮らしている。それを誰に見られたのか、あれはセフレだとかキャバ嬢だとか、噂は多々持ち上がった。あの朝、てっきり見られたと彼が疑っていたのは、入口にヘビの鎮座するドアの向こう、部屋の中、女装用品の数々。
〝女の物っていうか、そういうのが残ってたら。もし誰かが見てしまったら〟
そう聞くと、自分が女装趣味だと疑われた可能性もあるんじゃないかと。それで口止め。結局、あたしが気にしていたのはそれではなくて、アレだったから。
「余計な事、言った」
まだ半分以上残っている煙草を、乱暴にこすり付けて消したと思ったら、彼は両手で頭を掻き、それで乱れた髪の毛を整える事もせず、そこから急に立ち上がり、窓から外を眺めて……着地点を探しているんですね。
失敗しないという人が失敗を認める時、こんな事になるんだな。程好く酔いも回ってきたのか、急に笑いが込み上げてきたあたしは、そこから一気に安堵が襲ってきて、そうするうちにもう我慢できなくて、思わず吹き出した。
「キミの誤解が解けてよかった……って言うと思うか」
ゆっくり振り返った、その時の彼の眼力は、元ヤン親父の強面をも凌駕する。
「誰にも話してないのに、これから付き合って本気で恋愛しようかっていう女に向けて、真っ先に家の恥を晒したんだぞ。こっちの迷惑も考えろ」
そこから置きっぱなしのジャケットを取り上げ、小さな紙袋を取り出したかと思うと、それを床に放り投げた。恐る恐る近付いて紙袋を開いたら、上品なプラチナのペンダントが出てくる。トップにはダイヤモンドが光輝く……1カラット。
思わず2度見した。
「俺より詳しいから、形は弟に任せた。サイズ無関係だからすぐ買えたし。リングは……アソコから涎垂らして、しばらく我慢しろ」
これは俺の呪いだ……って得意になってるけど、「靴5万に文句言う人が、こんなのすぐ買いますか?!」車2台、余裕で買えるじゃないか。妹が泣いて怒る。
「ご家族の事とか、そういう事は真っ先に晒して下さいよ。これから」
本気で恋愛するかもしれないって思ったなら。
お酒なんか飲むんじゃなかった。こんな女の一大事、居ない歴28年分のトキメキを、ぼんやりじゃなく、ダイレクトに感じて溺れてみたかった!嬉しい場面にお酒があって後悔したというのは、初めての事である。
「どうしてだか知らないけど」
そこで彼はメガネを掛けた。
「弟が男の格好してると、大体の奴らがオネェ同志だと疑う。セフレとかキャバクラとか言われる方がマシだと思って、女の格好のままで放ったらかしたけど」
それがこの結果を招いて今に至る……状況が透けて見えてくると、また違った側面が現れた。失敗作とか言って。
「兄弟、超仲良いじゃないですか」
弟くんが例えどっちの格好でも、ツルんでいなければそんな噂にはならない。歩く姿は絵になるほど大の仲良し。両極端な誤解の原因は、それです……笑っちゃいけない。笑っちゃいけないんだけど。あたしは口元を押さえて肩を震わせた。
「あの」と、彼が急にドスの効いた声で迫って来る。笑ってる場合じゃない。呪われる!と、あたしは思わず縮こまった。
「ここまで男の本能盛り上げておいて恋愛するつもりないとか抜かすヤリマン女、教えてくれ。おまえのそれは一体どういう営業方針だ。後輩から次は仕事相手にブチ込んで、そっからどんだけマーケット拡大するか、指をくわえて見てろとでも言うのか」
「うぅ、そのレベルは久しぶり過ぎて、刺さる刺さる」
すみません、すみません、とひたすら謝り倒した。「ま、まだ続きますか?」と下から様子を窺ったら、「この程度で許されたと思ってんのか。最後に殺すぞ」
言うんじゃなかった。まだまだ続く毒舌は、×××、○○○、ピーー、放送禁止用語も恐れない。痛い。痛い。彼女じゃないと分かって嬉しい。まるで、わさびと生クリームを交互に味わうような、それほど振り幅がハンパなかった。
「居ない歴30年が聞いて呆れる。自覚しろ。鈴木とか渡部とか宇佐美とか、それだけ逆ハーレムに居て彼氏が見つからないと抜かすアホだ、おまえは」
ひいぃぃっ。
居ない歴はまだ28年……口答えしたら、また延々と続く気がして黙った。
1つ言えばその倍になって返って来る。こじれた素直が暴走を繰り返す。毒舌が照れ隠しに一役買っている事も分かりましたっ。
体力を奪われ切って、足元から崩れ、あたしは思わず椅子にもたれた。
「おまえは、俺の人生最大の失敗作になる。そういう予感がする」
まるで逃げ場を塞ぐみたいに、彼は椅子の背もたれに手を伸ばした。瞳を覗き込んで顎に手を掛けて……あたしは目を閉じる事も忘れて、彼と見詰め合う。
「あたし良かったです。彼女じゃなくて。本当に」
彼はあたしの言ったまま、「良かった。彼女じゃなくて。本当に」と、それを淡々と繰り返し、そこからまたメガネを外し、今度はそれを無造作に放り投げた。ネクタイをぐいっと緩めて喉を覗かせたら、これはまるで……いつか久保田に向けてやった事のそのまんま、である。
「まだ言ってんのか。そういう態度ならこっちにも考えがあるぞ!」
何が地雷を踏むのか分からない。あたし殴られる!?何で?!彼はあたしの呟きを言葉通りそのまんま、真正面から受け取めてしまったと……後で気付いた。
「お、落ち着いて下さい!そこキレるとこじゃないです。ゆとりじゃないんだから空気読んで下さい。あの人が彼女じゃなくて良かったって言ったんです!」
あと、
「お気付きでしょうけど、あたし部長に何を口止めされたか分かってないんですよ。部屋の中なんて見てませんから。ほら!あのヘビが怖くて。マングースだから。ね?」
てへ。
結果、気を逸らして免れようとした作戦は失敗に終わった。
「過去に戻って、それを先に言え」
そこで強引に唇を奪われて、意識が飛んだ。まるで攻撃されるみたいだと思う。いつかと様子が全然違う。髪を掻き上げるように後頭部に手を差し込まれたら、もうそれだけで動きを封じ込められてしまった。もう片方の手は腕を掴み、温かさというより力の強さに戸惑うくらいだ。まるで3人目の分身。唇からいきなり口腔に侵入してくる彼は、また別人。息継ぎと同時に、ごくんと喉を鳴らしたら、お酒と彼の匂いが混ざり合って、今まで経験した事の無い酩酊感が襲う。
首筋から喉元、ブラウスを割って肩周りに彼の唇が侵入してきた。
「あ、あのっ」
驚いて思わず声を上げたら、「呪いはもう充分だ」彼の声が鎖骨を伝わって響いてくる。そこへ、「予約取れましたぁ」と、鈴木くんが朗らかな笑顔で部屋に入って来た。目が合った途端、「うわ!」と手持ちの書類もモバイルも投げ出して、そこらじゅうにブチまける。
「何年部下やってんだ。気利かせろ。おまえも殺すぞ」
鈴木くんはバタバタとそこらじゅうをまとめて、慌てて部屋を出て行った。そこからゆっくりとドアが閉まって……鈴木くんが、気を利かせた。
「今夜メシを食う。おまえも来い。デザートは林檎だ。食後に付き合え」
逃げるなよ……覗き込む視線は、まるで獲物に狙いを付けたいつかのヘビだ。
彼は指先でしばらくあたしの髪の毛を、頬を、もて遊んだかと思うと、いきなり胸元に顔を埋めてくる。「あ、あのっ」急に怖くなって一瞬身を引いたら、「もう勝手に呪え」とか言いながら、彼が止まらない。
「と、止まれっ!」
「無理無理。笑わせんな」
彼がそう言ったと同時に、ぱちんと音を立てて部屋の電気が消えた。
「驚いた。本当に呪いが」
あたしも正直驚いた。てゆうか、「多分これは、鈴木くんです」
気を利かせ過ぎて、もはや神の領域。呪い通りなのか何なのか、暗闇の中、あたしも彼もしばらく動けずにいた。
この呪いと暗闇を味方につけて……あたしは彼の胸の中に自分から飛び込んだ。
彼との間に立ちはだかる沢山の壁を、あたしはこうやって自ら飛び込み、大コケ、転がりながら倒していくだろう。最強の失敗作を目指して、いつまでも。
思いがけず踏み込まれて、少々驚いた事も手伝ってなのか彼は微動だにしない。呪いはいまだ効果を発揮しているのだ。あたしは笑いたいのを必死で我慢する。
薄暗がりの中で、唇を寄せた。
林檎姫は、3秒かけて王子様の呪いを解く。
そこで初めて目覚めたみたいに……彼はあたしを優しく抱き寄せた。



<FIN>
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