願うは君が幸せなこと
”月宮さんって、夏美の彼氏なんだよね?”
そう聞こうと思ったのに。
彼氏のことを悪く言われて、夏美が気分を害してしまっていたらどうしよう。
目の前に迫った会社のビルを見上げて、これから始まる一日を思って憂鬱になった。
立派な社会人。何があっても、どれだけ嫌なことがあっても出勤しないといけないし、社員と顔を合わせないといけない。
千葉さんはもう出勤しているだろうか。
昨日、千葉さんと誰かのキスシーンを目撃してしまった。
その瞬間頭の中が真っ白になって、何が起こっているのかよくわからなかった。
呆然としている間にエレベーターのドアが閉まって、千葉さん達の姿は見えなくなってしまい、そこでようやく我に帰ったら、足から地面に崩れ落ちそうになって。
だけど気が付いたら、誰かにしっかりと手首を掴まれていた。
それが、一緒にいた月宮さん。
二十階のボタンを押してしまっていたので、エレベーターはぐんぐん上昇していく。
その間ずっと月宮さんは何も言わなかった。
多分何かを話しかけられても、まともに頭に入ってこなかったかもしれない。
二十階についてドアが開くと、月宮さんは私と一緒に一度エレベーターから降りた。
「お前、もうこのまま一階に降りて帰れ」
「………」
「いいか?途中どこかで降りるなんて考えるなよ、一直線に一階まで降りろ。聞いてんのか」
「………」
「……あー、くそ」
そうして再び、二人でエレベーターに乗り込んで、月宮さんは私を会社の出入り口まで見送った。
私はそのまま家まで帰った。月宮さんは、もう一度二十階まで上がったのだろうか。
さっき夏美が、月宮さんのことをいい所がある、と言っていた。
千葉さんと誰かとのキスシーンを私に見せないように手首を引いてくれたのも、エレベーターのドアを閉めてくれたのも、月宮さんの”いい所”なのだろう、と思った。