もしもの恋となのにの恋
「・・・千鶴、俺はお前のことが好きだ。・・・そして、忍もお前のことが好きだった」
俺は半ば放心状態の千鶴の涙を拭いつつ、言葉を続けた。
「忍とお前は・・・両思いだったんだよ」
俺の言葉に千鶴はゆるゆると首を横に振った。
俺はそんな千鶴を黙って見つめ見た。
千鶴の僅かな白目の部分は真っ赤に充血し、その瞳は潤み、止めどなく涙を流し続けている。
俺はそんな千鶴の涙を手で拭い続けた。
千鶴の目から涙がこぼれ落ちる度に俺の胸の奥はズキズキと痛んだ。
「・・・忍は・・・夏喜のことが好きだって・・・言っていたのに・・・」
千鶴は言葉を詰まらせながらそんなことを口にした。
忍はやはり、千鶴に嘘を吐いていたわけだ・・・。
俺は奥歯を強く噛みしめた。
ギリリと不穏な音が口の中で鳴り響いた。
俺はずっと忍に負け続けている・・・。
その常にの敗北は時に強烈な劣等感であり、時に強烈な対抗心と向上心を生む・・・。
死んでもなお、忍は俺にとって唯一無二の親友であり、ライバル的な存在だ。
もしも、忍が今も生きていたならば俺の人生はもっと面白かっただろうし、千鶴もこんなに涙を流さず、傷つかずにすんだだろう・・・。
そして、忍と千鶴は幸せな家庭を築いたのではないかと俺は思う。
だが、それだと宮原さんの人生はどうなる?
それもまた面白い・・・。
一つの幸せが失われると違う幸せが生まれる。
一つの選択で変化で人の人生は大きく変わってしまう・・・。
過去の俺は忍と千鶴の幸せを願い、見守ると言う選択をした。
だが、忍は死んだ。
俺は今でも千鶴のことが好きだ。
だが、その事実を俺は千鶴に口外するつもりがなかった。
しかし、俺は千鶴にそのことを口外してしまった。
俺は千鶴のことが好きだ。
俺は千鶴の幸せを今だって願っている。
千鶴は宮原さんと結婚する。
そして、暖かい幸せな家庭を築く。
それでいい・・・。
そう思っていたのにその思いが願いがきしきしと不穏な音をたてはじめる・・・。
俺は傲慢で強欲な人間だ・・・。
もしも、千鶴が俺を選んでくれたら・・・。
そんなことを不意に思う・・・。
宮原さんではなく俺を選んで欲しい・・・。
そして、忍でもなく俺を選んで欲しい・・・。
俺を思い、俺を選んで欲しい・・・。
俺を好きになって欲しい・・・。
幼馴染みとしてではなく、友としてでもなく、一人の男として俺を好きになって欲しい・・・。
そんな思いが今更になって強くなる・・・。
人一人の幸せを壊す代償は大きい。
わかっている。
なのに・・・だ。
なのにそんなことを今更になって俺は思う。
俺が今、千鶴を奪えば宮原さんの人生はどうなる?
宮原さんは千鶴のことを心から愛している・・・。
俺と同じように・・・。
なのに・・・だ。
俺の方が千鶴を愛しているとどこかで俺は思っている。
本当に俺は傲慢で強欲な人間だ・・・。
俺はそっと千鶴を抱き寄せた。
千鶴は未だ泣き続けている。
「・・・忍は俺に気を遣ったんだ」
俺は静かに呟くように千鶴の耳元でそう言った。
千鶴が『何で?』と涙声で聞いてくる。
『何で』なんて聞かないで欲しかった・・・。
嗚呼、痛い・・・。
存在しない胸の傷からドクドクと赤黒い血が流れ出てくる・・・。
俺のその血に千鶴は汚されていく・・・。
「・・・俺が・・・千鶴のことを好きだったから・・・」
「それは理由にならない」
千鶴は涙声で強くそう言うと大きな溜め息を吐き出した。
千鶴のその言葉に俺は瞬いた。
『理由にならない』?
「秋人が私のことを好きで忍も私のことを好きだったとしてもそれは嘘を吐く理由にはならないし、気を遣う理由にもならない。そして、それを嘘を吐く理由にしちゃいけないし、気を遣う理由にもしちゃいけない」
千鶴は早口でそう言うとぎゅっと俺を抱きしめた。
・・・やめてくれ。
俺は心の内でそう呟いた。
「私は『好き』なら『好き』ってはっきりと言って欲しかった。・・・なんて言ってもダメだよね。私も本当の気持ちを忍に隠してたんだから・・・」
そうか・・・。
確かにそうだ。
そして、千鶴は昔からそう言う考えの人物だった。
千鶴は昔から『好き』なら『好き』。
『嫌い』なら『嫌い』をはっきりさせる人物だった。
「忍に『好き』って言っておけばよかったなぁ」
千鶴はそう言うとふふっと笑った。
そんな千鶴が堪らなく愛しい・・・。
「私は私の意思で動く。人生は選択の連続だってこの歳になって知ったよ」
千鶴の言葉に俺はハッとさせられた。
人生は選択の連続・・・。
なら・・・。
「千鶴・・・俺と付き合って」
思いきってそんなことを言ってみる。
本当に馬鹿だと思う。
千鶴には宮原さんがいる。
なのに・・・だ。
なのに・・・俺はそんなことを口にした。
けれど、選ぶのは千鶴だ。
俺は自分の意思に従った。
千鶴はまたふふっと笑った。
本当に本当にそんな千鶴が愛しい・・・。