もしもの恋となのにの恋
痛み

「・・・夏喜ちゃんも・・・苦しいだろうな」
そんな言葉を俺は不意に口にしていた。
その言葉とほとんど同時にふーっと長くて重い溜め息も吐き出していた。
本当に俺はそう思う・・・。
けれど、どうしても俺は夏喜ちゃんよりも千鶴のことを先に思ってしまう。
まあ、それが当たり前のことなのかも知れないけれど・・・。
俺と千鶴は恋人だ。
その上、俺と千鶴は婚約もしている。
俺と千鶴は結婚する・・・。
俺はそう思っていた。
俺はそう信じていたし、疑いもしなかった・・・。
なのに・・・だ。
なのに俺は今、それを信じることができなくなっている。
俺は千鶴との結婚を疑っている・・・。
千鶴のことは好きだ。
心から俺は千鶴を愛している。
なのに・・・だ。
なのに俺は今、ひどく迷っている・・・。
俺は千鶴を幸せにできるのか?
そんな疑問が頭の中をぐるぐると回る・・・。
答えなんて出ない意地の悪い疑問だ・・・。
秋人は俺の言った言葉の意味を隣の助手席で黙って考え込んでいるようだった。
秋人は賢い。
けれど、秋人は人の痛みに鈍感だ・・・。
ただ一人、千鶴の痛みには敏感だけれど、それ以外の人の痛みには秋人は鈍感だ。
それだけ秋人は千鶴を気にかけていると言うことだ。
秋人ならいいか・・・。
そんなことを心の内で呟いてみる。
それでも俺の気持ちはモヤモヤと燻る。
すぐに納得ができるほど俺は人ができていないし、すぐにあきらめがつくほど俺は簡単に千鶴を愛してはいない・・・。
それでも千鶴を思うなら・・・。
そうも思う。
「もちろん・・・千鶴も苦しんでいるけれど・・・」
随分と間が空いたにも関わらず、俺はそんな言葉を付け足した。
千鶴は苦しんでいるし、悩んでいる。
当たり前だ。
唯一無二の親友にいきなり階段から突き落とされたのだから・・・。
苦しんで当たり前。悩んで当たり前だ。
もしも、千鶴がその事実を知っていなければいくらか楽だっただろう。
または千鶴を突き落とした相手が夏喜ちゃんでなければ千鶴はだいぶ楽だったに違いない・・・。
千鶴は夏喜ちゃんを本当に慕っている・・・。
なのに・・・だ。
なのに現実はいつだって残酷だ・・・。
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