名のない足跡
本当は、スピーチの内容は紙に書き留めておいた。
でも、さっきの挨拶で思い直して、破って捨ててしまった。
…話していて、わかった。
みんなが見ているのは、王としてのあたしじゃなくて、あたし自身なんだ。
どんなに着飾った言葉を並べても、それはあたし自身の言葉じゃない。
そんなんじゃ、臣下はついてきてくれない。
無言のまま、あたしたちは大広間の扉の前で立ち止まる。
いつも通っていたはずの扉が、やけに大きく感じられた。
あたしは、震える手を固く握りしめ、目を瞑る。
―――ありのままの、自分を。
ふと、左手が温かいことに気づき目を開けると、ライトが手を握ってくれていた。
「…大丈夫です。あなたは、強い」
そのときのライトの微笑みを、あたしは一生忘れないと思う。
あんなに切なそうに笑うライトを、初めて見たから。
あたしは軽く頷き、扉を見据える。
―――ルチル、勇気がほしいときはね、目の前のモノから、目を離しちゃダメ。しっかりと前を見なさい。
これは昔、母様がよくあたしに言ってくれた言葉。
この言葉に、何度も勇気をもらった。
そして…今も。
あたしは両手で扉を開き、
大きな一歩を踏み出した。