アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
私は慌てて首を横に振った。
自分が店で使っているパン切り包丁のほうがよほど長いのに、人を傷つけるための刀とパンを切る包丁とはまるで違う気がして触れるのが怖くなったのだ。
まさかそんなことはないだろうが、もし彼が刀を抜いた時、誰かをその刀で傷つけた痕跡でも残っていようものなら……たとえば血の跡なんかがあったりしたら……すっかり彼を見る目が変わってしまいそうだ。
彼は目を細めて探るように私を見た。
「怖がりだね。
でもこれがカガンの文化だ。男はこれで家族を、特に母や姉妹、妻を守る。自分のためにこれを抜くことは親から固く禁じられている」
「そう……」
この21世紀に刀で女家族を守る。
そんなことがありえるのか。
「僕自身はこの刀を手入れ以外で抜いたことはないし、抜いたという人の話も聞いたことがないよ」
彼は私を安心させようとするように、それがただの習慣であることを強調した。
「やっぱり、見せてもらってもいい?」
彼は私の言葉に眉をあげたが、私の翻意の理由を尋ねる事はしないで刀を取ると静かに鞘(さや)を払った。
蛍光灯の光の下で抜き放たれた刀身は濡れているかのようにつやつやとしていた。
その冴え冴えとした美しさに目を奪われ、私はため息すらも忘れていた。
何十秒もたっぷりとその刀身を見つめてから、私は止めていた息を吐き出すと共に言葉を漏らした。
「きれい」
鞘の装飾も、装飾にはめ込まれた真珠もかすむほど美しい刀身だった。
鞘はあくまで鞘。本当に大事なのは刀身だ。
刀のことなど何一つ知らない私でさえそれと分かるほどの美しさだった。
美術品として国内に持込を許可されたというのも頷ける。
「初めてこれを父から受け取った時、とても嬉しかった。一人前の男として認められたことももちろんだけれど……、男の本能かな。刀の美しさが嬉しかった」
私は頷いた。
この刀身を初めて目にした時、ミハイルは12歳くらいだろうか。きっと今の私よりもずっと幼い心でこの美しさを受け止めたに違いない。
その刀のあまりの美しさに、私は無意識にその刀身に手をのばそうとしてしまった。
ミハイルはさっと私の手首をつかんでそれを制止した。