アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
ミハイルがそんな気持ちを持ってくれているなんて想像もしなかった。
私の店に来るカガン人はみんなとても純朴で感情表現が大きく、そして酒好きだ。
ミハイルが酒を好むのかどうかについては知らないが、彼も一見冷たく見えるほどほど整った容姿や、凛とした態度とは裏腹に素直で純朴な心の人らしい。
「あなたが喜んでくれたらと思ったけれど、今は僕が嬉しい。
あなたが、この刀をきれいと言ってくれたことが誇らしいよ。
日本人は銃も刀も持たずに生活して、それで何の問題もない。
それに比べ、カガン人は未だに刀を持って暮らし、家族を守るために戦わねばならない。
カガンでは、日本のように女の人が一人で出歩くこともできない。
僕はカガンを愛しているし、カガン人である子とを誇らしく思っている。けれど……カガンだっていいところばかりじゃない。
これは王子たる僕が言うのはいけないことだけれど、カガンは治安が悪く、野蛮だと……そう思うことも、ある」
初めて彼と話をした時のことを思い出した。
彼はカガンを愛しながら、一方でカガンの悪いところを恥じている。
貧しい国民、貧しいがゆえの治安の悪さ、長らく大国の属領であったこと。
「そんな、野蛮だなんて」
「この刀が人の血を吸っていても?」
彼は品の良い口元に自嘲するような笑みを浮かべた。
古い刀ならば彼の言うように人を傷つけた刀である可能性もなくはない。
いくら綺麗な意匠を施してはいても刀は刀だ。飾り物ではない。
殊(こと)に、ミハイルの刀は濡れたような艶を放っている。そこには人の命を奪う武器としての迫力があった。
「……ミハイルは、カガンに帰りたくないの」
彼の両親を殺してしまった国。
カガンもまた王子の帰りを待っているわけではないのかもしれない。
彼は私の発した言葉に傷ついた顔をした。
私の疑問は彼の心を言い当ててしまったのかもしれないし、あるいは見当はずれなことを言ったのかもしれない。どちらにせよそれは「部外者」でカガンを知らない私が口にしていいことではなかった。
踏み込みすぎた。
「ごめんなさい。答えないで。
こんなこと聞くべきじゃなかった。
ごめんなさい、忘れて」
私は刀を置いて彼から離れた。