アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
「『蒔田君』って。
まあ、自分のやったことを思えば仕方ないんだろうけど、改めてそう呼ばれるときついな」
「えっ」
「まだ怒ってる?」
「怒るって」
「昔の浮気だよ」
「ううん、怒ってないよ。そんなつもりはなくて」
「じゃあ、昔と同じ呼び方で呼んでくれ。遙にまでよそよそしくされたんじゃ少し辛い。自業自得だけど」
そう指摘されて改めて考えてみると、確かに昔はこうではなかった。
蒔田君と付き合っていたころの私は彼を修二くんと呼んでいた。当時、会社ではもちろん蒔田君呼びだったけれど、二人になると自然に呼び方を切り替えていた。
「そっか……じゃあ、修二くん」
「そうそう」
彼は人懐こい笑みを浮かべた。少し年齢を経てはいるが、彼は相変わらず清潔感があって人懐こい感じがした。
彼は納得すると、また珍しそうに店内を眺め回した。
「なんだか、レトロだな」
「内装を変えるだけの余裕がないだけ。もう30年以上になるかな」
「ふうん、でも少し暗いのが落ち着くよ。……付き合っていたときは一度も店にお邪魔したことはなかったけれど、いい店だ」
蒔田君は少し変わった。
以前の彼は楽しいことが大好きで退屈するのが嫌い。ゆっくりと時間を使うのも苦手だった。かしこまった挨拶も好きではないようだった。
だから、昔の彼は私を家まで送るたびに父との対面を避けて、自宅から少し離れた場所から私が家の外階段をのぼる姿を見ていた。私の住まいや父の店に興味を持つ人ではなかった。喫茶店の売り物の一つである店の雰囲気などにはもちろん全く興味がなかった。
時を経て彼が少し変わったのか。
それとも蒔田君自身が今、癒しを求めているのだろうか。
「何を食べる?」
「名物とか、オリジナルメニューはある?」