アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
私は思わず眉根を寄せた。
腹が減ったのお茶漬けが欲しいのはただの口実だ。きっと蒔田君は寂しいのだろう。帰るなり玄関で子どものブロックを踏む生活が苦しいくせに、それでも一人はいやなのだ。
私のところに来たのは、奥さんに会いにいく勇気がないから。格好悪いから。
蒔田くんは私に会いたかったのではない。単に私が奥さんよりもずっとハードルの低い相手というだけなのだろう。
「そんなに寂しいなら奥さんに会いに行けばいいのに。子どもがいるんでしょ、」
呆れてため息をつくと白い息が上がった。
彼は首を横に振った。
「違う、お茶漬けが欲しいだけ」
約束もなしに気まぐれで昔の恋人の家を訪ねる。歓迎されないのはわかっているだろうに、彼はしつこくそう強請(ねだ)った。
お茶漬けなんてご飯を買ってきて適当に作ればいい。
家や会社の近くのコンビニにいけばご飯も漬物もあるだろうに、蒔田君はあえてそういう楽な手段をとらずにここに来た。
「……突然来て何言ってるの。店は開けてないよ」
「わーってるよ……」
弱みを見せたくない。格好の悪いことはしたくない。そんな彼の気持ちを反映してか、彼の口調はぶっきらぼうで傲慢だった。
そんな態度をとるくせに、辛くなったら必死で頼れそうな人を探す。本当に会いたい人ではなく、頼れそうな人を。
蒔田君は今、醜態をさらしている。
けれど、私はそんな彼を強く非難はできなかった。人間は時として本来の自分よりもずっと駄目になってしまうことがある。醜態をさらしてしまうことがある。
たいした大恋愛だったわけでもないのに、昔の恋人相手に情を強請(ねだ)る。子どもでもない中年の男が、それをする。私がだめならもっと関係の薄い誰かの家を訪ねるのだろうか。
蒔田君のこんな姿は見たくなかったな。
そう思いながらもつい哀れになった。
私は大きくため息をついて階下を指差した。