アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
男は低い声で言った。
「彼女から離れろ」
暗い外階段で、相手はフードを目深にかぶっている。それでも声ではっきりとわかる。これは、ミハイルだ。
ミハイル。
私は思わず息をつめた。
「な……」
蒔田君はいきなり背後から首根っこをつかまれ、相手の顔もわからない。かなり怖い思いをしているようで、彼の赤らんでいた顔が一気に白くなった。
私は周囲を見回した。幸い外階段は細い裏路地に面しているので人通りは少ないが、万一この現場を人に見られて警察でも呼ばれたら、ミハイルがここにいることが人に知れてしまう。
「ミ……大丈夫。知ってる人だから心配しないで。
蒔田君、店に回って」
「……」
深くかぶったフードの奥で、ミハイルの紫の瞳がぎらぎらしている。
彼の身につけている刀にも似た、濡れた輝きだった。ここで蒔田君が怪しい動きをしたら、ミハイルは容赦なく冷たい刀を蒔田君の首筋に押し当てるのだろうか。ミハイルならば、きっとそれができる。
彼の唇からもれる白い息が冷たい風に何度も何度も、吐き出すたびにさらわれていく。
「……遙……お前」
蒔田君は何か言いかけたが、最後まで言わずに目を伏せた。
「離してあげて……」
私の声はこわばって震えていた。寒さのためというよりも、恐怖が勝っていた。
ミハイルは目で頷いて、蒔田君をつかむ手を離した。