アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)

蒔田君は責めるように私を見ると、そのまま外階段を急ぎ足で下りていった。

ミハイルは逃げるように走り去っていく蒔田君をじっと見つめていた。彼の後ろ姿が見えなくなるまで。


「ミハイル……もう入ったら」

私はそう声をかけたが、ミハイルはまるで足が凍り付いてしまったかのようにその場を動かなかった。
美しく澄んでいたはずの紫の瞳に、強い怒りが滲んでいる。

彼は私に向かって手を伸ばした。今までそれほど強く意識したことはなかったけれど、彼の手は骨ばっていて大きかった。
その手の大きさに思わず体をこわばらせると、彼の手が風に軋む玄関ドアを押さえた。


「……あの人は、誰」
「昔の同僚というか、友達」

私はできるだけさりげない様子を装って答えた。
けれど、私のついた些細な嘘は、些細であったにもかかわらず、明らかな嘘のにおいがしたらしい。ミハイルはそれを聞いた途端、自身の下唇を噛んだ。

「あなたの友達は夜中にやってきて、嫌がる人の家に上がりこもうとするの」

私はため息をついた。


「違うよ。普段はそんな人じゃない。ただ……嫌なことがあったみたいだし、酔ってたから」

ミハイルは腹立たしげに私の言い分を聞いていたが、その紫の瞳には疑いが濃く滲んでいた。

「ねえ、こんなところでこんな話、やめない?」


私は寒さのあまり、無意識に自分の体を両腕で抱き、二の腕をこすった。
ミハイルはそれに気がついてコートを脱いで私の肩にかけた。細かい雪が街灯のぼんやりとした光の中に舞い散った。

「あの男……。一人で店に来ていた。あなたが働いている間も家の様子を窺(うかが)っていた」
「……え……」

まさか蒔田君がそんなことをしているとは思わなかった。いや、ミハイルからそれを聞いた今でも信じられない。見間違いではないのか、そんな言葉が口をついて出そうになったが、かろうじて飲み込んだ。


「あれは……誰?
あんな怪しいやつが出入りしているなら、もうここには戻れない」
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