アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
「ミハイル、ごめん。私が不注意で」
彼は私の目を見据(みす)えた。
怒りと焦燥と、そして悲しみがその美貌を彩っている。彼がそんな顔をするとは思っていなかった私はなんと言って詫(わ)びればいいのかわからなくなってしまった。
「あなた、誰にでも優しいんだね」
それは褒め言葉というよりも、痛烈な非難の言葉だった。私の胸をぐさりとえぐったその言葉に、私は咄嗟に声が出なかった。
美しい紫の瞳に侮蔑と、そして怒りが滲んでいる。
「僕が来なかったらあの男を家に入れたの」
「そうじゃない。おなかがすいたって言うから。店に回ってって、言った……。
いくら私でも、ここに誰かを入れるのがいけないことだってことくらい、わかってる。
でも、あの人は怪しい人じゃなくって。文具メーカーの、営業で、」
「……」
だめだ。ミハイルは繊細で、その分だけ敏感な人だ。彼はもうすでに私のついた小さな嘘のにおいに気がついている。
「昔、付き合ってた人……。だから、警察とか、カガンの関係者では、ないと……思う」
寒さのためにいつも以上に赤く染まっているミハイルの薄い唇が震えていた。
「そう」
また彼の唇から短い言葉と共に白い息が出て、雪と共に風にさらわれていった。
「僕の命は……僕だけのものじゃない。
だから、もう……ここにはいられない」
「待って。もう誰も家に入れない、絶対。約束するから」
まるで恋人同士の愁嘆場のようだ。けれど、恋人同士ほど確かな絆が私達の間にあるわけではない。私達の間にはちょっとした行き違いだけで互いに二度と顔を合わせなくなるような、そんな浅い絆しかない。
彼は小さく首を横に振った。