アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
ミハイルはもう出て行ってしまったというのに、私は相変わらずミルクを沸かしている。
「小鍋に入れておいたミルクを容器に戻すわけにはいかない」それが建前だった。
けれど、私の心の中ではカガンティーが彼を思い出すよすがとなっているのだ。
彼が虎徹につれられてこの店にやってきた時、私はミハイルを迷惑だとさえ思っていたのに。
出来上がったロイヤルミルクティーに砂糖をたくさん溶かし、さらに小さく切ったバターのかけらを浮かせると、バターはすぐに溶けて見えなくなった。
濃厚な甘みと脂気、温かい牛乳の匂いはやはりおいしいとは思えない。
けれど、私は手元だけを明るくした店内で一人、カガンティーを飲んだ。
私はまた一人になってしまった。
しかも、自分の迂闊(うかつ)さで彼の信頼を損ねたことで、私達の関係を壊した。
自分はそれだけのことをしたのだと頭ではわかっていても、「そのくらいのことで」と彼の対応を恨めしく思う気持ちは心の底に澱(おり)のように沈んでいる。それは、私が平和ボケをしていて本当に彼が置かれた状況を理解していないということの証(あかし)でもあるのだろう。
日本で生まれ育って身の危険を感じたことさえない私と、そして人に命を狙われる立場のミハイル。
私はそのことを理解しているつもりでいて、その実、表面的にしかその情報を受け取っていなかった。
私の思う彼の置かれている状況よりも、現実はもっと危険で、私は彼を守るには迂闊すぎたのだ。
気持ちだけで彼を守れるならば苦労はないが、……それだけでは。
二人は違いすぎたのだ。
彼はきっと傷ついたに違いない。
私は彼を理解しているつもりでいたし、彼自身も私をそれと信じてくれていた。だからこそここに身を置いていた。けれど、結局のところ、今回のことで私が何も理解していないということが露呈してしまったのだ。