アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)

私の心の中でそんな残酷な声が聞こえたが、私はそれでもいいと思った。

つかの間でもいい。
カガンの王子と平凡な日本人。これほどかけ離れた私達が、例え一瞬でも互いに思い合うことができるのならば、それはきっと幸せなことなのだ。

後悔も、いずれ私達に訪れるであろう別れの悲しみももちろん恐ろしい。けれど私はこの孤独な人の心を時間の許す限り抱いていたかった。

ミハイルの細い髪にそっと触れようとしたその時、彼の瞼(まぶた)がかすかに動いた。
私ははっとして手を引いた。


私はなにを考えているのだろう。



私は逃げるようにベッドを抜け出し、急いで体を洗って服を着た。

夢かと錯覚するくらい短い夜が私には丁度いい。
きっと彼は私の語らない心のうちを、私の肌を通して覗きこんでしまっただろう。平凡で何一つ優れたところもなく、ただずるずると生きてきた私の、分不相応なまでの望みを垣間見てしまっただろう。いくら取り繕ったところで関係を深めてしまえば心は露わになる。

叫びだしたくなるような恥の感情をこらえて、いつも通りの身支度を整えると、私は逃げるように店に下りて開店準備を始めた。
店の前の溝が薄く凍りつき、吐く息も白い。


昼過ぎまで、店は商店街の店主たちが集まっていて忙しかった。額に、背中に汗が滲むほど動き回って、気がつけば正午を回っていた。

店で作ったランチを持って二階に上がると、リビングにミハイルの姿はなかった。
まだ寝ているのだろうか。それとも外出しているのだろうか。それとも、……また出て行ってしまったのだろうか。
その考えに思わずうつむいて立ち尽くしていると、外階段に通じる勝手口のドアが音を立てて閉まり、私は驚いて体を震わせた。
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