アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
ミハイルはそのガラス玉のような瞳で私をしばし見つめていた。やがて小さくため息をつくと、まだ少し湿り気の残った私の髪を指にからめてその毛先に唇を押し当てた。そしてゆっくりと詰るように見つめる。
「思っていることを少しも言わないのはあなたの魅力の一部だけれど、……あなたの男としては、それが怖い」
「何も思ってないよ」
彼は眩しそうに目を細めた。
「どうだろう。
気がついてる?あなた今日は一度もЯ люблю тебяとは言ってない」
私は彼の棘(とげ)を含んだ物言いに言葉を失った。
Я люблю тебяは愛しているという意味の言葉だとミハイルから教わった。
愛しているなんて一般の日本人の感覚からすれば毎日口にするような言葉ではない。照れもあるが、それ以前に……、毎日愛していると口にすることは、なんだか言葉自体がうそ臭くなってしまうようで、習慣のように言葉にするのは苦手だ。
「ミハイル」
彼は小さく肩をすくめた。
「日本人は言わない、かな。
有名だよね、日本人が愛情を言葉にしないのは……。
一般カガン人の愛情表現は熱烈だ、宮廷の中は別として」
「カガン人は宮廷では言わないの?」
「言わない。カガンではいまだに王は神の末裔だとされている。神の末裔に愛なんて、……似合わないしね。臣下だって国民だって、そんな生々しい神の心の内なんて見たくはないだろう」
王族としては「愛」なんて口に出すべきではないということなのだろうか。
「じゃあ、王族の愛情はどうやって表現するの」
ミハイルは少し考えてから軽く首を傾けた。紫のきれいな瞳に黒く染めた彼の前髪が影を作った。
「さあ、人の目のないときにこっそり相手を見るくらいしかできないのじゃないかな」
「それだけ?」
「宮廷は公の場だから。臣下や女官の前ではどんな感情も表には出せない。僕が少しでも嫌な顔をすれば、職を追われる者が出る。逆に、誰かとあからさまに親密になれば、その人間の家には賄賂の山ができる。
それはカガンに限らずどこの国でも同じだと思う」