アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
「イリアスに会ってくる」
「え、イリアスさん?」
どこか聞き覚えのある名前に一瞬記憶の意図を手繰(たぐ)り、やがてスマートな印象のカガン人を思い出した。品がよく折り目正しいその人は親しみやすい人ではなさそうだった。
ミハイルは今、カガン人とは連絡を立っているとばかり思っていたが、それは私の思い込みだったようだ。
「イリアスは……僕の臣下だが、母の兄の子、つまり僕の従兄弟だ」
「信用……できるんだよ、ね?」
今は誰がミハイルの命を狙っているのか分からない状況だ。不用意にカガン人に接触するのはやめた方が良いのではないか……そういう気持ちがあった。
ミハイルは小さく頷いた。
「イリアスは子どものころからいつも僕と一緒だった。感情を表に出さないからあなたが彼を不安に思うのも理解できるけれど、彼は信頼できる。あなたもいずれわかる」
「……そう」
ミハイルの表情が、それまでの繊細で優しく少しわがままな顔から王子の凛とした顔に戻っていくのがはっきりと感じられた。
私が初めて雑誌で彼を見たときに感じた冒(おか)しがたい気高さと毅然とした態度が彼の本当の姿を覆いかくしてしまう。
「いってくる」
私は頷いた。
やはり、ミハイルは王子に戻るのだ。そうして現実に戻っていく。
寂しかったが、それが本来とるべき道だと思うと、もう私には何も言うべきことはなかった。
コートを着て帽子を目深にかぶった彼を、私は静かに見送った。