アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)

「ミ」

ミハイル、と彼の名を呼びかけて、私は戸惑い、そして言い直した。

「殿下」


カガン人の前で王族を名前で呼ぶのは不敬罪にあたる……。彼の名を口にする寸前でそれを思い出したのだ。
ここは私達二人の空間ではない。イリアスさんがいる。

ミハイルはそんな私を見て小さく頷く。そこではじめて私は自分の判断が正しかったのだとほっとした。気をつけなくてはいけない。

「座って」


私は素直にミハイルに勧められた場所に座った。

しばらく、ミハイルはその紫の瞳で私をつくづくと眺めていた。
いつもの彼ならば顔を合わせるなり私を抱きしめるか、私の髪に唇を押しつけるけれど、今はそうしなかった。それが彼の持って生まれた身分に相応(ふさわ)しい振る舞いなのだろう。


「イリアスから多少の事情は聞いていると思うけれど、あなたの安全のためにここに部屋を用意した」


「蒔田君のこと……申し訳ないと思っています。ご迷惑をおかけして、本当にどうお詫びしていいのか」

彼はほっそりと見える手を上げ、仕草で私の言葉を遮った。
その瞬間、彼の袖口から消毒液と薬の匂いが漂った。

「あなたのせいだとは思っていない。
マキタが書き込んだ内容も、僕を特定するようなものではなかった。あれは、ただの愚痴のようなものだ。
きっと、あの夜の僕の対応も悪かったのだと思う」


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