アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
ホテル10階のラウンジには驚くほどひとけがなかった。
このホテルの10階から上は特別な会員しか入れない。一旦10階以下に降りると戻る際には身分証の提示が求められる、と高坂さんから簡単な説明を受けていたので、一般顧客がここに来ることはないというのは理解していたが、実際にこれだけの広さのラウンジに誰も人がいないのは奇妙な様子に見えた。
外務省からきているという井出さんはそんな閑散とした空気を気にかけることもなく私の向かいに腰掛けて私の話を聞いていた。
「なるほど……。じゃああなたはケガをしていた王子を保護した、というか……寝る場所と食事を提供していた。そんなカンジですかね……」
井出さんはそう言いながら有名チェーン店のカップに入ったコーヒーで口を湿らせた。
私は頷いた。
私の前にもコーヒーのカップはおかれているけれど、井出さんに対する緊張からまだ一口もそれを口にしていなかった。
「そのことを証言できる人はいますか」
「いいえ、だってミハイル……あ、すみません」
井出さんは肩をすくめた。
はじめは堅苦しい雰囲気で始まった事情聴取だったが、私が暗殺者やスパイなどでないことは明らかなので、だんだんと井出さんの雰囲気はくだけてきていた。
「かまいませんよ、ここは日本国内です。誰が相手であろうとあなたは日本の法律によって守られています。カガンの不敬罪はこっちじゃ通用しません」
井出さんはそう言いながらネクタイを緩めた。
「殿下のケガの手当てはあなたがやったんですか」
「いいえ。私は応急処置のことはよく知らないので、包帯や消毒液は提供しましたけど、後は殿下が自分でしていました」
「……変なことを聞きますが、」
「はい」
「あー……その。クーデター以前に王子と面識があったんですか。その、私が聞きたいのは……」
彼はそこで言葉を濁した。おそらく、私とミハイルがどのあたりから「親しく」なったのかを知りたいのだろう。