アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)

井出さんは平静を装おうとしてもそうできずにいる私を気の毒そうに見遣り、やがてため息をついた。


「これは私の個人的な考えですが、……普通の日本の女性がカガンの王家に入るのはとても忍耐を求められることだと思います。

普通の女官ならば、退職も認められていますが、一旦王の側室となった方には王家のプライバシーを守るため、退職は……よほどのことがなければ認められません。
何百年も前の時代には、逃げた女官が死刑になった例もあります。

さすがに21世紀の今日、そのような理由で日本女性の死刑が行われたとなれば当然日本政府もカガン王家に対して強く抗議することになりますし、国際的な人権団体も黙ってはいないでしょうから、それはないと思いますが、それでも何事もなく退職ということは難しいでしょう。

私が危惧(きぐ)しているのは、たとえばあなたがミハイル殿下との関係を終わらせたいと思ったと仮定して。
万一そうなった場合、一般の女官のように退職して日本に帰ることは許されないだろうということです。

もちろんあなたは日本人ですからあなたが日本に帰りたいと思えば日本政府としてはそれをカガン政府に要求することはできますが……そもそもそのあなたの意思がちゃんとカガンの後宮から日本政府に届くかどうかさえ確かなことではないのです。
カガンの後宮は中の情報が一切公開されていませんし、どんな立場の女性がどんな暮らしを送っているのかも外部からはわかりません。どこの後宮も同じですが人の出入りも厳しく管理されています」

「……そう、ですか」

私の声は緊張のために自分のものとも思えないほどかすれていた。

井出さんは官僚らしい穏やかな態度を貫いてはいたけれど、内心私のカガンに対する知識のなさを危ぶんだに違いない。
私も改めてカガン王家について聞かされてみると不安になるばかりだ。
これまではまさか私がカガンにいくことになろうとは思っていなかったので、私の集めたカガンに対する予備知識はごくわずかでしかない。こんな調子ではカガンでうまくやっていくのは難しいだろうと自分でも思う。

< 219 / 298 >

この作品をシェア

pagetop