アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
「すみません、事情を少し聞かせていただくだけのつもりがこんな話になってしまって」
「いいえ、ありがとうございます。井出さんがご親切でこういうことを話してくださったのはわかっています」
井出さんは私の目を覗き込んで、少しほっとした顔をした。
「何かあったら、私の携帯に電話をください。日本政府側の私ならカガン側に悟られずに動くことができます」
「……はい」
カガン側に悟られず……。
井出さんの発した言葉に、私は思わずごくりと喉を鳴らした。
私はミハイルを裏切ることはできない。彼が私を裏切っても、私は彼を裏切ることはしない。
彼の繊細で弱いところ、誇り高く、その誇りのためにたびたび苦しんでいるところ。
私は彼の輝かしい王子としての姿ではなく、どちらかといえば彼の抱える負の部分を守ってあげたいのだ。彼がこの恋から目を覚ますまで……。
元々私はひとりぼっちだったのだ。
今さら何を失うというものでもない。
いや、私はむしろ、ミハイルと出会ったことで『得た』のだろう。
今まで、私はこれほど必死になって誰かを守りたいと思ったことはなかった。誰かにこだわったことがなかった。
胸の中に小さな灯が宿り、何もなかった私の心の中に今は情熱がある。
私は小さく息を吐いて、目を閉じた。
冷たい夜風と、風に舞い散る軽やかな雪。
蒔田君の頭越しに見たミハイルの紫の瞳。
深く深く傷つけられた人の瞳。
あんなミハイルはもう見たくない。
彼が私に絶望する……。そんな姿は見たくなかった。彼が傷つくくらいなら私が傷ついたほうがむしろ痛くない。
この気持ちが真実である限り、私はこの恋を後悔しないだろう。そう思えた。