アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)

「お、落とさないでっ」


彼は意地悪な笑みを浮かべた。そんな顔をすると、繊細な美貌が子どものように幼くなる。

「落とすはずないよ、人形みたいに軽いのに」

「うそ、私、50キロはあると思う」

「僕は……158ポンドだから、ええと。72キロくらいかな。やっぱりあなたは軽いね」

「そんなに細いのに?」

ミハイルは背こそ高いが体は薄く手足もすらりとしている。初めてミハイルに会ったとき、私は空に向かってのびる若竹を連想した。そのくらい細いのだ。
けれど、今私を抱き上げている腕は見た目よりも太い、かもしれない。

「軍人はみんなだいたいこんなものじゃないかな。
あなたももう少し脂肪と筋肉を増やさないとカガンの冬は厳しいよ。
カガン語の勉強よりもそっちのほうが急務かもしれないね」

そうか。見た目だけのために体型を絞るという発想は比較的気候の温暖な地域に住む人の発想であり、寒い地域に住む人にとっては脂肪のあるなしが生死を分ける事だってあるのだ。

王子は私を抱いたままソファに腰掛けた。そのまま私を膝にのせ、私の髪に唇を押しつけた。

「あなたがカガンを好きになってくれたら嬉しいけれど、心配だな。すぐに嫌になって帰りたいなんて言われても、とても帰してあげられそうにない」

彼のきれいな瞳には不安な感情が滲んでいた。そんな態度をとられると、私の家にいたころのミハイルそのものだ。人には見せない、弱い感情……。

「ねえ、カガンの話を聞かせて。井出さんから少しは聞いたけど、もっと知りたい」

ミハイルは遠くを見るような目をしてゆっくりとカガンの情景を語り始めた。

「そうだなあ、今まであまりいい話はしてこなかったから、何か……。
ああ、そうだ。マースレニッツァの話はどうかな」

「マースレニッツァ?」

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