アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
車を運転していた高坂さんが渋い顔をして後部座席にボックスティッシュの箱を投げた。
足元に落ちたその箱からティッシュを一枚とって鼻に当てると、車内のにおいがすっかりティッシュにしみついていた。
私はティッシュで涙を拭った。アイカラーやマスカラが白い紙を汚し、目がひりひりと痛んだ。それでも涙はじわりじわりと溢れては流れ続けた。
「すび、ばせん……ティッシュ、なくなっ……ちゃ、かも」
「返さなくていい」
かたい声でそう言うと、高坂さんは口をへの字にしたままラジオをつけた。
妙に整った女性の声で渋滞情報が読み上げられている。そのままで十分に聞き取れる音量だったにもかかわらず、高坂さんはさらに音量を上げた。
ありがたい。
私はうつむいて唇を噛んだ。
止まらない嗚咽(おえつ)のために息が苦しくなって、頭の芯が鈍く痛んだ。
それでも私の涙は止めることができなかった。
苦しかった。泣くことがこんなに苦しいことだということを、私は30を目前にして初めて知った。
たった三ヶ月弱の二人暮らしは私の心をすっかり変えてしまった。
ミハイル。
その言葉を口にするだけで心が裂けて、きっと私は毀(こわ)れてしまう。
井出さんはもう何も口にせず、車は静かに走り出した。