アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
私は冷たい指先に白い息を吹きかけ、そしてひといきにミハイルが使っていた部屋の襖を開けた。
気のせいだろうか、ミハイルの優しい香りを感じた気がした。
私はそのまま部屋の奥まで歩いていき、窓を開けた。
かすかに甘い春の気配を含んだ空気が外から流れ込んでくる。この部屋にかすかに残っていたミハイルの香りを、その春の気配が押し流していく。
繊細で、傲慢で、そして沁(し)みるようにやさしいキスをする青年は、もうどこにもいない。
それでいいのだ。
私の事を忘れ、ここでの夜を忘れ、強くあってほしい。そういうことをしてでも生きていて欲しい。
部屋の中央には布団が敷きっ放しになっている。
なぜかホテルのベッドメイクのようにきっちりと敷布団の皺を伸ばし、掛け布団の裾を敷布団の下に折り込んである。
布団に慣れない外国人らしいそのやり方に、私は苦笑してその掛け布団を剥がした。すると、重い金属の音がして、布団の中で何かが動いた気がした。
違和感に気付いた私は掛け布団を脇へ避け、布団の裾に目をやった。
そこにあったのはミハイルの刀だった。
金と皮で作られた鞘は以前一度見たその時のままだ。
彼から聞いた話では、これはカガン王家に代々伝わる貴重な刀であり、日本政府の見解では「美術品」でもある。
こんな貴重なものを忘れていくなんて。
ここを出るときの彼は落ち着いているように見えていたが、何ごとも顔に出さないのが王族の常で、内心はやはりあわてていたのだろうか。