アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)

「ミハイル……」

重すぎる彼の初恋の中で、私は確かに彼の妻だったのだ。
そして、今後も、彼を裏切った後も私は妻だと……。そう言いたかったからこそ彼は家族を守るべき刀をここに置いて行った。
彼の家族はここにいる。だから彼の家族を守るべき刀もここに在(あ)るべきだと……彼はそう考えたのではないだろうか。


私にはこれを受け取る権利はないし、そしてこの刀にこめられた彼の気持ちを受け取る権利もなかった。
私は彼の気持ちをはねつけたのだ。これは彼がいずれ妻に迎える人を守るための刀だ。今は要らないと彼が思っていたとしても、いずれ必要になるときがくる。


私は、ジャケットのポケットに入れっぱなしにしていた井出さんの名刺を探した。

これは、ミハイルの手に返されるべきだ。

気位の高いミハイルのことだ。一旦手放したものを返されるのは屈辱に感じるだろうけれど、それでもいずれこれが彼にとって必要なものとなる。
私との別れが彼の未来にとって必要なものだったのと同様、この刀だって必要になる、いずれ。

一瞬、ミハイルに手を添えられてこの刀を抜いたその時のことを思い出した。
その濡れたような刀身はぞくりとするほど危険な美しさをたたえていた。

これを返す前にもう一度見ておきたいという気持ちがよぎったが、私はすぐにその欲を押し殺した。

これは彼の精神に属するものだ。
彼と共に生きることを選べなかった自分が持っていていいものではないはずだ。
それに、私ではこの刀の美しさを損ねずに管理し続けることなど到底無理だ。早くあるべきところに返したほうがいい。

私は父のたんすから風呂敷を引きずり出してくると、しっかりと美しい刀を包んだ。

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