アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)


彼はさらりとしていて率直な言葉でそう指摘すると、アメリカンのお代をテーブルに置いた。
私は慌てて彼を止めた。

「お金はいらないよ。これ、お見合いなんでしょ」

いかに経営が苦しいとはいえ、お見合いでコーヒーの代金を取るのはさすがにできない。


「でも、商品なんだろ。これ」

「いいよ。サービスってことで。
今度、またお客さんで来てください」

表通りの人の話し声さえ聞こえてきそうなほど静かな店内を見回して、彼は苦笑した。この店の苦しい現状はこの静けさで彼にも十分に理解できたことだろう。

「オッケー。わかった」

彼はそう言ってごくあっさりした態度で店を出て行った。

ガラス戸の向こうでひらひらと手を振るそのやり方はお世辞にも上品だとは言えなかったけれど、取り繕った様子が全く感じられない分、信用できる気がした。

本人曰く、なかなか周囲とうまくいかなくて仕事が続かないらしいが、私は彼の私とは正反対のさっぱりとした態度に好感を抱いた。たぶん、私と同じような気持ちを彼に対して抱く人も少なくないはずだ。
きっと彼はすぐに次の仕事を見つけるだろう、そう思った。



「次の、職場……」


私は彼のカップをキッチンに運ぼうとしてふと呟いた。
深い考えがあってそれを口にしたわけではない。けれど、ここの所ずっとこの店の中で沈殿していた重く静かな空気が、そのとき少しだけ店の外に抜けて行ったような気がしたのだ。




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