アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
それは、とても古い色褪(いろあ)せた記憶だ。
私はその当時、一人でカウンターのイスに座ることもできないほど小さかった。
小さな足をぶらぶらさせながら、私はその日もカウンターの端の席から父の背中を見ていた。
そのころは今ほどインターネットが普及していなかった。だから外国のことを気軽に調べられる環境は整っていなかった。父もきっと図書館を使ったり、カガン人と話をしたりしてそのレシピを手に入れたのだろう。
母子家庭も父子家庭も今ほど多くなかったあの時代に、一人で私を育ててくれた父の苦労は私の想像を超えるものがあっただろう。
それでも幼児だった私を抱えて店をやりくりする父の背中は決して後ろ向きではなかった。父はいつも前を向いて店の将来、私の将来から目をそらすことをしなかった。
私の知っている父は無口で何を考えているのか子どもにはわかりにくい人だったけれど、ずっと前を向いていた。
私は、ちゃんと前を見ることができているだろうか。
将来(さき)を憂(うれ)えるだけでなく、自分の望みを実現するだけの気持ちを持つことができていただろうか。
私にそうした資質がないと見ていたからこそ、ミハイルは私を自分の目の届く範囲に置くことに固執し、そしてイリアスさんや井出さんも、私の弱さを感じていたからこそ私のカガン行きに反対したのではないだろうか。
気がつけば私は店から飛び出していた。
思いつきで行動することは苦手な私だけれど、その時はいつも私にブレーキを書ける不安など少しも感じなかった。まるでもう一人の私にぐいぐいと手を引かれている様だった。
商店街はそろそろ人通りが多くなる時間帯だ。エコバッグ片手に歩いている女の人や学生たち。
彼らをさっと見回して、私はその中から鈴村さんの後ろ姿を見つけ出した。背はそれほど高くないが、料理をする人独特の手が特徴的だったので、後ろから見ただけですぐに彼だとわかった。
「鈴村さん!鈴村さん!!」
私は驚いてこちらを振り返っている彼に駆け寄った。