アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)




鈴村くんに来てもらうようになってまだ二週間。

公邸のカガン人の大半が帰国してしまったのでカガン人のお客さんは相変わらず少ないままだ。カガンティーの注文もほとんどない。
しかしランチメニューを充実させたことで近くの雑居ビルや工事現場のお客さんがお昼を食べに来てくれるようになった。

ランチの盛り付けはまだ慣れないし、限られた休憩の時間にお昼を食べにきてくれるお客さんをお待たせしてしまったこともある。けれど、たくさんのお客さんが来て、いろんな食べ物のにおいであふれる店の中は好きだ。


店の経営は、持ち直したのか赤字なのか今のところはまだはっきりとはしない。
正直なところ、鈴村くんのお給料はいまのところ、カガン政府から支給されたお金でまかなっているので、今後の見通しは立たないままだ。
今はまだ売り上げが増えたからと言って喜べる状況ではない。乗り越えなければならない課題はいくつも残っている。


けれど、私は嬉しかった。

緩(ゆる)やかに衰退へと向かっていたこの店が再び蘇ろうとしている。
父の残したどこか退廃的な店の空気は薄れてきたけれど、父の気配が日に日に薄れていく店は、空っぽにはならなかった。

新しい生命の息吹がどこからともなく店の中に吹き込んでくるのが毎日感じられた。それは私の気配であり、鈴村くんの気配であり、また新しくこの店にきてくれたお客さんたちの気配でもあった。

店は毎日生き物のように少しずつ変化していた。
私は父の店を引き継いで何年もたった今になって初めて、店がもはや父のものではないのだということをちゃんと理解した。

今さらそんなことに気がつくなんて自分の鈍さにいやになる。私の自覚が早ければ店はこれほどの窮地に陥らずに済んだのかもしれない。それを思えば父にも店にも申し訳ない気持ちになるけれど、不思議と落ち込みはしなかった。

今の私は毎日どれほど疲れていても、明日を迎えるのが楽しみだった。ときには眠る時間さえ惜しいと思ってしまうほどだ。

父が大事に育ててきた店が変わってしまうのは少し寂しいけれど、この店を、私の感傷の墓場にしてはならないと思った。私が父を愛していたことは、私の心の中にだけあればいいのだ。


私は鈴村君が入れてくれたアイスティーを飲み干して立ち上がった。


その時、店の電話が鳴った。
< 294 / 298 >

この作品をシェア

pagetop